大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

『ぼっち・ざ・ろっく!』。音楽業界のロシア・ウクライナ戦争。帝国とマルチチュード。について。

日本時間2022年11月29日現在。

2022年2月24日(その前からうすうす予感が脳裏に走っていたが)ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、僕は今年、趣味のロックバンドDIG収集にやる気が薄れた。

それは、2020年コロナ上陸当時のコロナによる世間の異常な空騒ぎの時もそうだった。

僕は、リアルタイムに発信される音楽藝術、生活を写したロックミュージックに、そのジャンルや歌の傾向から「時代」というものを見出そうと思っていた人間だったからだ。

だけど、今回の戦争とコロナが違うと言える点は、コロナは我々の日常社会とゼロ距離で密接している問題であり。戦争は少なくともテレビ越しスマホ越しという距離の問題がある。

今思い返すと、コロナショック当時、アーティストたちのことを考えて、「この人達もコロナの中、バンドの仕事も危うくなってるけど、それでもライブを演ってんだな」と思えるようになった。

それに、ライブのMCや、ステイホーム運動に連動したサブスク解禁や、CDが流通しないからyoutubeに一定間公開するだとか。そしてTwitterにインスタのような、生活に密接したメディアを通じてコロナ禍のミュージシャンの心の渦中を発信するとかで、彼らの裡を知り、コロナ禍の中に呑気なラブソングを歌うバンドをチャラいとかは思わなくなった。コロナ厭戦ムードの現状もあるかもしれないが。

彼らは新型コロナウイルスに直接的打撃を与えられた存在だ。

彼らの多くが作る2020年以降のラブソングは、コロナの空気感とシンクロしていると思う。

東京のどこかのスタジオで、マスクで機材搬入しレコーディング。感染拡大を止めるために必死でライブハウスはカンパを求め、マスクを付けた観客の顔を直視して音楽を演る。

Spotifyで検索すれば面白いほどコロナの音楽(UVERworldを除く)が検索される笑 コロナ禍の歌だったら、THE BLUE HARBの「2020」、eastern youthの「2020」、秋田ひろむ「令和二年」が好きですね

Spotify – Web Player


だけど、ロシアによるウクライナ侵攻は違う。海の向こうで戦争が始まる。

僕の聴いている音楽圏―インディーロックとメジャー洋楽、にはロシアへの反戦のアティテュードが、なかった。

洋楽から話そう。

もちろん、U2の支援チャリティーライブや、ピンクフロイドのチャリティーアルバムが出たことは知っている。

しかし、それらはツウな人しか知らない情報だ。探れば、海外アーティストではこのような活動を行っている人は多いかもしれない。

だけど、朝のニュース番組には取り上げられないし、音楽情報サイトでメジャーな記事にはならない。

インディーネイティブhttps://www.indienative.com/で洋楽インディーシーンの動向を探っているけれど、まだ小規模のグループにも、ウクライナのことはあまり関心がないように感じる。

日本人アーティストにしろ外国人アーティストにしろ、ウクライナ問題へのアプローチはコロナ禍より極めて困難だ。

「それは政治的な意図があるから、政治には触れない方がいい。」という腑抜けた物言いからなのか。

じゃあなぜ、かつてのアメリカの政治を大批判して、合衆国の国旗を逆さに飾った、デッド・ケネディーズとか、ブラック・フラッグとか、バッド・レリジョンとか、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか、グリーン・デイアメリカン・イディオットとかがあったんだ?

日本の話だが、イラク戦争当時。向井秀徳氏によれば「音楽に政治を持ち込まない」と長々と回答していたそうだ。

それは逆説的に「向井秀徳さんはイラク戦争反戦ソングをやらないんですか。やるべきですよ。」と、日本の有名ロッカーに対する期待があったのだと感じる。(あのあたりの時代のロッキングオンとかは私は知らない世代なので、この行はあくまで推測。ただそういうやり取りがあったのは確か)。

あの頃のカウンターカルチャー界における反戦運動は、『帝国とマルチチュード』に集約される。

簡単に言えば、アメリカという超大国の戦争に対して民草が社会運動するようなものだ。

ゆえに当時、この本はヒットしたそうな。

イラク戦争時のアメリカ人たちは、「戦争を始めることによって自国が堕した」という音楽を作っていた。反戦ソングをあげると枚挙にいとまがない。

だが、今のアメリカ人はロシアを批難しない。それは、東側や西側の意図のどちらが正しいのか分からないから、ではないと思う。

なぜなら、西側諸国に住んでいる、アメリカ人もイギリス人も日本人も、『<帝国>とマルチチュード』の関係にあるからだ。

『<帝国>とマルチチュード』は、アメリカ、そしてグローバリズムの<帝国>に対して、無力なプロレタリアートのような存在たち―マルチチュード―に人間を区分した一説だ。

西側諸国が覇権を取り、世界のグローバル化が進んで、西側資本主義のイデオロギーが増長するという<帝国>。

そして、そのグローバリズムは、国民と国家の違いがあると述べた思想だ。

しかし、今回のロシアとウクライナの戦争は、どうも東側諸国の旧ソ連内ゲバに見えてしまう。

テレビではワイドショーでプーチンの蛮行を批難する形式がスタンダード。開戦当初からNHK BSの海外ニュースメディアの映像も観ていたので、西側世界的にも反プーチンというスタンスが、現在世論において支配的であると思う。

しかし、我々はロシアとウクライナの傘下。つまり、東側諸国に、居ない。

我々西側諸国民は、この戦争が何を理由として開戦したのか分からない。「極右政権から自国への攻撃を恐れた先制攻撃」「民族のレコンキスタ運動」「穀物資源の簒奪」etc...分かりやすく説明されても、それで納得はできない。

確かにロシアを批難するのも簡単だ。だが、もっとラジカルに考えると、例えば自分が作曲するときに、ウクライナは被害者だけどロシア兵も被害者で、戦闘指揮官プーチンとゼレンスキーをどう書いて歌い上げるのか、どうしようもできないはずであろう。

よって、世界中のミュージシャン、アーティスト、芸術家、子供からオタク層まで受け入れる作品の作り手の多くが、沈黙せざるを得なかった。

そして悲しくも、『<帝国>とマルチチュード』は、現代社会に通用できなくなった言説ということになる。

非対称戦争、対テロ戦争、世界内戦の時代が21世紀のスタンダードになるかと思いきや、そうはならなかった。少なくともプーチンの頭の中は20世紀だった。そして戦争は20世紀から変わらないものだったと初めて分からせられた。メタルギアソリッドふうに言えば「戦争は変わらなかった。」

僕は、ウクライナが攻撃されてから、呑気なラブソングなんぞ聴く意味あるのかと、正直なところ、そう思ってしまった。

だから僕は、戦争を題材にしている、「ガンダム」や「マクロス」や「ストライクウィッチーズ」のオタク系アニソンを聴きまくってた。

だって、ソッチのほうが明らかにリアルじゃないか。僕は西海岸パンク生まれヒップホップ育ちなので、フェイクを嫌う。

では、現在日本人アーティストは何を歌っているのかにハナシを移す。

日本人のメジャーもインディーも、みんなやっぱりラブソングだった。

歌詞から「きみ」という文字が消えることはなかった。

アメリカのハードコアで政治的な曲なら、苛烈に「おまえ」と歌うところで、「きみ」を歌うしか無かった。

そして、戦争的なニュアンスが入った楽曲を紹介すると

リーガルリリーさんの『恋と戦争』

このアルバムは、バッド・レリジョン的な苛烈な現代批評ではない。

僕の敬愛するバッド・レリジョンが93年に西海岸でリリースしたCD。そのうちの『アメリカン・ジーザス』

話がそれてしまうけど、世界的なエンタメでは、やけに「アメリカン○○」という作品が多い。映画だとアメリカンスナイパーとかアメリカンサイコとかアメリカンヒストリーXとか。

それだけアメリカは世界の中心であったはずなのだ。しかし、バイデン政権になれば世界はフラットになってしまった(僕はトランプ派ではない)。

かくして、アメリカなきグローバリズムでは、古い言葉を使うが「大きな物語」が完全に抹消されており、「小さな物語」の時代に本格的突入したのだと思う。

それもそう。ロシアとウクライナの戦争も、「小競り合い」という見方もできるだろう。そんな、自分の知らない離れた国の小競り合いに、日本人は四六時中かまっていられない。ニュースで今のトレンドは統一教会だそうで。

そのようにして、「大きな物語はなかった」とよく云われる言説が、さらに加速し、さっきのリーガルリリーの曲のように「恋」と戦争の話になってしまうのだ。

やっぱり「君と僕」の時代はビートルズのYesterdayから続く。戦後の日常は終わらないし、東西冷戦もまだ集結していないと僕は思う。中国も巨大な国だ。

コロナウイルス蔓延で宮台真司は加速主義者になったし、今人気者のひろゆきも加速主義者だし、事実、新しい生活様式に変えられた我々の社会も「変化」という「加速」をさせられた(主に在宅ワークやウーバーイーツやメタバースなど)。

ちなみにまた余談になってしまうが、私が信頼している評論家の宇野常寛先生(リツイートと反応してくれてありがとうございます。)の『砂漠と異人たち』という本は面白いよ。

戻す。興味深いケースに、バットマンを挙げようか。

結構こないだ前に公開された『ザ・バットマン』は、明らかにQアノンをメタファーに用いたヴィランを用意していた。しかし、Qたちは世界を変えるわけでもなく、バットマンに倒され、ふつうに終わってしまう。

2019年ジョーカーやダークナイトに反して、風刺をしているようで風刺が出来ていなかった映画だ。なぜなら、世界の問題の渦中にあるQアノンはひどく荒唐無稽だからだ。「地球平面説」なんていう連中と、まともに取り合うなど話にならない。

この映画は、ダークナイトで説かれた「大きな物語」ではなく、「大きな物語を描こうとしたけど小さな物語を描かざるを得なかった映画」になったのだ。

なぜか。Qアノンも「小さな物語」の中を生きているからだ。トランプは小さな物語で票田を獲得しただけにすぎず、それはアメリカの意志ではなかったと、さきの大統領選挙でバイデン政権が発足したことから分かる。

音楽というものは時代を映す。だが、今年の邦楽はなんだかイヤな感じだった。世界問題から逃げるしかない極めて合理的な理由はある。あるのだが、その物足りなさに頭をひねる。

そこで、アニメ界から現れたのが、『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』だ。

別にふざけているわけじゃない。これは本当に「時代に合わせてきた」偶然の一致としては出来上がりすぎてるほど完成度の高い作品だった。

第二次世界大戦をモチーフにした世界観で、世界中の部隊が集められ、戦わないで、歌を歌う部隊の主人公たち。彼女らが、戦争というものに直面しながら歌をうたう道を選んでいく、極めて真摯なストーリー。

そして、そのOP曲が、最高に良い。


welcome to the wonderful world luminous

この世界はワンダフルなんだ。
そこがいいんだ。

直球である。そしてこの直球を、少なくともプーチンの頭に投げつけてやりたい。

まさに現代世界をドストレートに風刺できた歌だったと思う。素晴らしい!!!

そして、『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品だ。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は、読者層の心を鷲掴みにする魅力を盛っている。

厭世的な主人公に、感情移入してしまう。

それはよいとして、音楽性はどうか。

その音楽は、東京に住む一人の孤独な少女のリアルな心情のリリックだった。

確かに、好きなバンドが楽曲提供してるけど、音楽面においては私の愛した いにしえ の『けいおん!』より何手も落ちてしまうように感じ取れてしまう。それは多分僕の耳が老けたせいだろうか。

だが、捉え方を変えると、手落ちではなく、2022年現在の音楽性を見事に引き出しているといえる。

変拍子のリズムに超うまい演奏。そして、最も2022年のトレンドを撃ち抜く一曲一曲。

「リアルさ」と「トレンディさ」を、見事に両立している。

チェーンソーマンでいうと、マキシマム・ザ・ホルモンは中学生の頃から大好きだが、チェンソーマンにマキシマム・ザ・ホルモンは、今の日本の音楽シーンにホルモン並のキワモノがいないんだという事実を突きつけられているようだ。

マキシマム・ザ・ホルモンは僕の人格形成のひとつにある。超重要バンドです。)

リーガルリリーのくだりじゃないけど、あくまで、小さな物語に生きるしかないのが我々令和人間だ。

しかし、前記事にあるとおり、『けいおん!』の頃は、情熱にあふれていた時代だった。

浅羽通明『ものぐさ精神分析』的な、日本人の精神分析をすると、『けいおん!』の時代は未来に展望があった。震災が起こる前。民主党に「一度任せてみよう」の号令のもとに成り立った民主党政権東京スカイツリーの建設。お台場ガンダムの建設。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で観た、青空のもとエヴァンゲリオンが健康的に全力疾走し、最後はシンジが綾波を助けるという全くもって明るい筋書き。

たしかに2009年のリアルと、2022年のリアルは違うかもしれない。

しかし、それを良いと悪いで区別することは僕は絶対にしない。それでも僕は明日が欲しい。

と、いうわけで、『ぼっち・ざ・ろっく!』は令和の音楽アニメ・漫画として大ヒットを記録している。

CDも、タワーレコードで僕は買った。サブスクにあるけど、サブスクにあるものが全てじゃない。実際に手を取ってCDのドーナッツをレコーダーに加えて再生する。これぞ音楽の醍醐味だ。

そして、買うということはその年に起こった記念物を所持するということだ。

さて、やはり自分の耳が老けたを言い訳にせず、ちゃんとこの『結束バンド』というバンドを聴こうか。

Galileo Galilei 再結成によせて

タイムラインでGalileo Galilei再結成の文字が踊った。

本当なのかと、リアルタイム検索。

マジだった。

私にとってGalileo Galileiは、多感な10代後半から20代前半まで、一番聴いた活動中の邦楽ロックバンドだ。

はじめに出会ったのは、駅前TSUTAYAさんで借りた、アニメ「あの花」OP、『青い栞』である。

正確に言えばおおきく振りかぶってとかAUのCMで認知はしていたが、「あの花」が面白かったし、OPもいい曲だな~と漠然と思っていて、何気なく駅前TSUTAYAさんでレンタルしてみた。

表題曲『青い栞』の再生が終わり、カップリング曲がはじまる。

ここで衝撃が走る。



実際に聴いて頂きたい。『青い栞』と、そのカップリング曲『SGP』『スワン』を。


『SGP』の、このザクザクしたエレクトロ。バチバチに来た。 このときからだろうか、私はロックには電子音がなければつまらないなと思うようになった。

『スワン』の、まっすぐなシューゲイザー。あの頃、オアシス系でシューゲイザーは少しは周知していたが、やはり日本語のシューゲイザーは新しくて、これにも衝撃を受ける。

そして、全3曲のリリックすべてに、センスを感じ得なかった。

こわいくらいに青い空を遊びつかれた僕らは きっと思い出すこともない ―『青い栞

どのくらい泣いて どのくらいここで 噓笑いをしていたんだ ―『SGP』

心療内科の受付横の窓からみえた 砂場の如雨露に苔がむす 揺れていたブランコは一つに結ばれ「ここにいる」なんて言葉は嘘になるんだろうな ―『スワン』


病み気味の私にとって、ダイレクトな歌詞。少し病んでいる人には、この歌詞に共感するはずだ。


旧譜も聴いた。

この頃のGalileo Galileiはよくあるギターロックバンドだと、当時は おざなりにしていたが、20代になってから、この頃のガリレオの青臭い青春感覚。初期衝動。そして年齢に比例しない大人が思いつくような超インテリな歌詞をしみじみと感じるようになる。

とくに――

受け入れることは 染まるのとは違うから 『ハマナスの花

すごい歌詞だと思わないですか。17ぐらいの青年が、こんな歌詞を描くなんて、想像つきますか?

今じゃすっかりGalileo Galileiの黎明期が大好きになった。よくあるギターロックバンドじゃない、等身大の自分を描き、かつアタマの良いバンドだと思っている。

「あの花」の放送が終わって、次は「ガンダムAGE」のタイアップ曲を聴く。


開いていく天の窓から刺すような胸の痛み 眩しすぎるほど 『明日へ』

ガンダムにおけるスペースコロニーを、「開いていく天の窓」と表現するセンス。すげぇーなこれ。

―そんな翌年。2ndアルバムPORTALが発表される。


聴いたこともないシューゲイザーと電子音の玉手箱。

日本にこんなバンド、ほかにあったか?

驚愕した。他のバンドを引き合いに出して申し訳ないが、バンプ系とは断然違う音を鳴らすバンドと確信する。

いざ現場に行くぞと、ツアーに応募したけども、あえなく落選。

初めて行けたのが、2013年の『Galileo Galilei ALARMS TOUR 2013』

若かったなーあの頃は。

補足しておくと、Galileo Galileiは、私がライブで姿をみることなく二人が脱退して、東京から北海道に引き帰った。

2022年現在の話になるが、脱退した岩井郁人氏を含んでGalileo Galileiが再結成する。ライブでその姿を観たことがない岩井さんに、これからのGalileo Galileiで出会えると思うと感謝あるのみだ。

その後もけっこーライブにも足を運んで、夜勤バイトして予備校を通う忙しいルーティーンでも彼らの音を聴き、辛いことも楽しかったことも、Galileo Galileiと、あの頃の自分に刻みつけられている。

横浜の奥の、貧相な丘陵地帯に住んでいた私にとっては、街の暗さを打ち砕くものを感じた。

Galileo Galileiは、常に進化し続けるバンドだ。

ベストアルバムで変遷を追っていけばわかるが、当時のバンドたちとは一線違う進化を成し遂げている。

洋楽シーンを意識する曲を次々とドロップしていく。

自分も音楽知識もどんどん積み重ねていって、昔のシューゲイザーやあの頃のトレンドと比較して時代を意識した。

THE 1975の『chocolate』をカバーしたのは良かったな。

解散が近づいていくGalileo Galileiで一番好きだったのが『バナナフィッシュの浜辺と黒い虹』

このベスト盤より、このテイクが最高にいい。

そして運命の2016年がやってくる。

2016年冬。Galileo Galilei解散決定。

そしてドロップされたアルバム。『Sea and The Darkness』このアルバムにはとんでもない力が込められいた。

ドラム尾崎和樹氏の切実な、あまりにも切実な、切り込むがごとき演奏。

とくに『ボニーとクライド(アルバムバージョン)』のドラムが、とんでもなく激しいんだ。

必聴である。

『Sea and The Darkness』のツアーにはいけなかったが。なんと武道館ラストライブのチケットを争奪した。

泣いた。ひたすら泣いた。泣いたとしか書きようがない。めずらしい過去の曲も次々と演奏され、『バナナフィッシュの浜辺と黒い虹』のAimerとのドュエット。私は生きていてよかった夜を見つけたのだ。

「バイバイ」

ライブが終わり、こんなメッセージが掲げられた。

もう、俺の青春はこれなんだ。これしかないんだ。そう思った。

このライブが終わったのち、私の体調が徐々に不調に陥る。

同年。おっかけてた某人気声優の休業と、Galileo Galileiと同じく愛していたバンド・plentyの解散。

予備校と夜勤を続けていた身体にガタが来たか、2017年に僕はバイトをやめた。


だが、尾崎兄弟ひきいるGalileo Galilei後のプロジェクトは次々と進んでいた。

尾崎雄貴WARBEARというソロプロジェクト。

さらに Bird Bear Hare and Fishという、Galileo GalileiメンバーにDAIKI氏を加えたプロジェクト。

尾崎雄貴さんたちは、解散しても前向きに活動を続ける。

Galileo Galileiを終了したのは、おもちゃの車から降りたから」

そんな言葉で、2017年以降の活動も精力的に始動しはじめる。

バンド名をBBHFに変えてしまうほど変化し続けるのである。

しかし、突如舞い込んだ悲報。

Galileo Galileiの頃から尾崎兄弟と友達の、最古参メンバー佐孝仁司氏の脱退。

これには非常にショックを受けた。

そして自分は、BBHFへの熱意が急速に下がる。

もちろん曲は出るたび聴くが。やっぱり最古参のさこぴーが居ないと、ダメなんだと。

あと、冷めた理由の一つに、「BBHFのファンの写真でコラージュ画を作ろう」という企画に自分の写真を送ったのに採用されなかったこと。

そんなふうに一歩手前に戻って彼らを聴いていたけども。

しかし、今日突如ゲリラ的に発表されたGalileo Galilei 再結成宣言」

めまいがした。動悸がした。

俺の多感な青春期にブッ刺さったGalileo Galileiが、あのGalileo Galileiが、そのGalileo Galileiが、再結成する。。。

文字にできない万感の思いが押し寄せる。

辛かったときも、楽しかったときも、そばにあったGalileo Galilei

最近になって、横浜のイナカ地帯から引っ越した僕は、Galileo Galileiは過去のものなんだと、生まれ変わっていくものなんだと、前に進んでいくものなんだと、ガリレオ解散後のプロジェクトを前向きに捉えるため、「あえて」武道館ライブのBDを売った。

引っ越した都会の方の横浜の景色には、ナチュラルな自然と調和するようなGalileo Galileiの歌とは似合わないような気がしたからだ。

Galileo Galileiで最後に発表された曲『車輪の軸』


キスしてさよならだ 過ぎ去っていく日々に 『車輪の軸』

ここで、Galileo Galileiの終わりを、区切りをつけて、「さよなら」なんだと。私は武道館ライブBDを手放した。

だが、彼らが戻ってくる。

その衝撃に、僕は耐えられるだろうか?

新たなGalileo Galileiの開拓精神を受け入れたい気持ちと、思い出を壊されたくない気持ちがないまぜになった脳内。

だけど、やっぱり踏ん切りを付けた。

ファンクラブに加入して、復活ライブ先行抽選にエントリーした。

これには当選したい。絶対に当選したい。やっぱり当選したい。やっぱり観てみたい聴いてみたい。

あの頃の青春と今の自分。それに向き合う「鏡」が、私にとっての「Galileo Galilei観」なのかもしれない。

BBHF「バックファイア」

Galileo GalileiとBBHFについて

当初、音楽系のブログをやろうと思ってたけど、なかなか音楽に対する思いを書けなかったから書く。

この曲はぼく的に思いを綴ることができる曲だった。

ぼくは、このBBHFというバンドの前身、Galileo Galileiを、ご存知「あの花」のOP青い栞で知った者だ。

このCDをTSUTAYAでレンタルして、B面2曲のサウンドスケープに驚いて、一気に虜になってしまった。

日本にこんなポップスとエレクトロとシューゲイザーを同時に演るバンドがいたとは・・・。

そして僕はGalileo Galileiに心酔した。ライブで観る彼らは輝いていた。

しかし、このバンドには紆余曲折があった。

音楽性の急転換。メンバーの脱退。東京拠点から地元北海道への帰郷。外国人プロデューサーの登板。

バンドは、ボーカルドラムの尾崎兄弟と、その親友であるベース佐孝さんの三人が動かすものになった。

それらを経て、Galileo Galileiは、16年に解散を迎える。

しかし、その後はGalileo Galilei現メンバー+サポートギタリストが加わり、BBHFとして再始動した。

ボーカルの尾崎兄はGalileo Galilei解散時に云った。解散に対し、「おもちゃの車を捨てるようなもの」と。

そして、おもちゃの車を捨てた彼らは再び「靴」を履いて歩き始めた。

20年には、「南下する青年」という意味ありげなアルバムをリリース。

コロナ禍ということもあり、有料無観客ライブ配信で、僕は彼らの姿を目に焼き付けた。

だが、Galileo Galilei結成時からのメンバーである佐孝さんが21年3月バンドを脱退・・・。

僕は、バンドの中核の一人である佐孝さんが辞めてしまうことを聞いて、正直、さめてしまった。

「南下する青年」じゃなかったのかよ。

幼い頃からの親友であった彼ら三人の一人が消えてしまう寂しさにより、少し心が離れたのだ。

そしてこの曲が、先日発表された。


「僕らの後ろ側で音を立てて花火になる」

「僕らの後ろ側で照らし出す」

過去、脱退したすべてのメンバーたちへの責任を背負っているような歌詞を叩きつけられた。

「バックファイア」ーこれは、過去を顧みる曲だった。

そして、

「おっことした火花を探して そこにいるんだろう ねぇ どこまでいける?」

で曲は締められる。

背負ってるんだな、今の彼らは。

Galileo Galileiという、「紆余曲折」を経まくった過去を。「後ろの火」<バックファイア>を。

まだまだ、彼らの曲は聴き続けたいと思いました。

一人暮らし生活115日目 Stand up to the victory

岡崎体育の「スペツナズ

これは2014年当時のクリミア動乱を暗喩したプロテストソングです(確実)。

↓のツイートの読み解き方がナルホドネーとなった。

クリミア動乱の規模とは全く違う戦争になってしまったけど、2015年の情勢下でこの歌詞を書けた岡崎体育は本当に天才。

もっと日本人はプロテストソングを書くべきだ。されど和製ケンドリック・ラマーは現れず。

なんか、昨日からもう普通の曲を聴く気分に全くなれない。

今日はずっとVガンダムの「Stand up to the victory」を聴いてた。ウクライナの情勢と重ねて。

なんか調べると、リガ・ミリティアって民間のNATOみたいな同盟なんすね。

この戦争の「その向こう」は誰も知らない。判らない。

「ひとりの頭でっかちの老人のお陰で、人類が全滅するなんて!」

「僕らが出来なければ、次の世代がやってくれます!」

このシーンが重なって、海の向こうの人たちのことを想ってしまう。戦地に赴くウクライナ兵が子供を抱く動画を見たこともあって。

明るい曲に暗い歌詞って大抵泣けるパターンだけど、この曲は終始明るさを貫き通しています。しかもVガンダム自体陰鬱なのに、なぜかそれが合う。「STAND UP~」をはじめVガンの歌は、修羅場に直面してそれでも明朗さを貫き通す矜持を持ってます。泣けてしまいます。

ガンダムというIPは、何十年後も滅んではいけないと思うんです。語り継がなきゃいけないミームなんだと思います。

何人死んだと思ってるんです!みんな、ちょっと前までは普通に生きてたんだ。明日の予定があって、来週の予定だってあったんだ。それが・・・。こんなの、人の死に方じゃありませんよ!

一人暮らし生活94日目 1月と2月はちょっと歩幅を緩めて往年の名作を探る期間。2014年の邦楽シーンが豊作すぎた件。

「1年間」の期間で音楽を語るとして、1月や2月はまだリリースしたてホヤホヤの曲はそう焦って聴く必要はない(ライブまで迫ってない限り)。

今日は昼から夕方までジザメリ、ライド、ダイナソーJr、ティーンエイジ・ファンクラブシャーラタンズ、などなど「90年代」を丸かじり。

にぎやかな音楽で夕方から夜にかけた鬱も吹き飛ぶ。 音楽療法、これしかないね。

日が暮れてから、妙にミイラズが聞きたくなる。

2014年のマスターピース

収録アルバム「OPPORTUNITY」

2014年の邦楽は、とんでもなく最高な一年だった気がする。

きのこ帝国、クリープハイプの台頭が記憶に残っている。

2014年のベストアルバムを挙げよう。

なによりも、Lyu;Lyuの「メシア」という偉大な曲。これは2010年代、いや人生の10指に入る。

そうそう。syrup16gが生還したのもこの年。

ART-SCHOOLは活休からすぐ復帰したけど、今回の木下さんの療養の回復を今後も祈り続けております。

いやーこの頃は楽しかったなぁ でもあんまり現場には行かなかった!勉強で忙しすぎた・・・。
駅前ツタヤさんとネットレンタルの全盛期。この頃はまだサブスクなどありませんのです・・・。

過去を振り返るんじゃない、これからも1リスナーとして愛してやまない未来を見届けていこう。
The mirrazの「この惑星のすべて」の歌詞のように。

一人暮らし生活92日目 やっぱ『クズの本懐』面白すぎるわ。

クズの本懐』に影響されて、『サンボマスター』のベストアルバムを聴いていた。

サンボマスター忘れらんねえよ みたいなバンドと思ってたけど、どっちかといえばフラカン側に近いなぁと思った。


しかし『クズの本懐』のアニメを観て2,3日たった今もスゲー衝撃を心臓に喰らってる。

豊崎愛生さん演じる女先生の「女」の心理が、まるで富野アニメみたいにリアリスティックで、エグくて、更に安良岡さんとムギくんには逃げ場がなくて、オチ含めてとことん切ねえアニメだと思った。

脱出口なき感情が「懐」にうごめいてひたすら逃げ場がない、そんなアニメですね。

しかしこのOP曲もすごい曲だと思う。

「終わらない花占い」「怖いくらい貴方が好き」「世界中の不安を集めて閉じ込めたなら何が起こるの?」

こんなリリック、どこから産まれてくるんだ。アニメもすごいが歌もすごい。

劇伴の横山克先生の曲も、『四月は君の嘘』や『嘘と恋』と同じように行間に挟まって聴こえてくる名曲ぞろい。

とにかくこのアニメの豊崎愛生さんの怪演が物凄くて、癒やしを求めて『ゆるキャン△』や『けいおん!』を観たり。

いや、それでもあの先生怖すぎるわ。



それと今日。
www.megaya.net

こんな名記事に遭遇。
『ザ・ミイラズ』。「夏を楽しむための~」はリアルタイムで聴いてたけど、それ以外はYouTubeでMV見てたぐらいで、アルバムを買ったり借りるなりして聴くようなことは当時できてなかったな。

リアルタイムでミイラズの変遷を楽しみたかった。


あとはなんだろ。そうだ、やっぱり『クズの本懐』つながりで『尾崎豊』にわりとハマってしまったんだった。

いろいろあるけどコレが一番好きかなぁ。

尾崎豊は「若者」として26で死んで。常に彼は「大人」への反発心だけを残したまま、逝ってしまったように思える。

この『Cookie』という曲でさえ、大人たちが作ったシステムに悩む当時の若者の歌だ。

当時の若者は、いま親(うちのような尾崎ファンの親父)になって、子供にちらっとオザキを教える。

当時の若者が大人になって、子をなし、立場が逆転したとしても、尾崎の葛藤は子供世代の我々にも分かる。

なんとも不思議だ。


あとは最近USロックばかり聴いてたけど、UKに戻って、ジザメリとかニューオーダーとか聴いてた。

イギリスの「ポスト・カートコバーン」(いや、イアンカーティスの死もシーンに影響を与えたか。)は、マッドチェスターやブリットポップという言葉に纏まられても、まとめられない。ジャンルが様々に広がりすぎている。

アメリカの場合は、シカゴで「エモ」が、アメリカ各地で「メロコア」が、黒人社会の場合「ヒップホップ」が台頭してきた。しかし、イギリスほど大きくジャンルが増えまくったわけでもない。




・・・まぁいろいろDIGってるものの、2022年最新の邦楽ナンバーを聴きそびれている 笑
なんかまだ1月だけだと「新たな時代が動いた」とは感じられず、過去の名曲をほじくり出すんだよなぁ、この性分。


というわけで今日は音楽の話ずくめでした。

一人暮らし生活68日目 もう戻れない日々へ、せめてもの別れを / 邦楽ロックの弱さ

みなさん。壊したくない、変わってほしくない、忘れたくない思い出ってあるでしょうか?

kuvodopopo.hatenablog.com

こんなエントリを書いて当時のことを思い出して、田舎町でヒキニートや夜勤コンビニや予備校通いをやってたことを思い出して。

まぁ今は都市部に引っ越して、自立することも視野になってきたんですけど。
あの田舎町も悪くはなかったな、とは思ってる。

あの頃はアニメ『あの花』でGalileo Galileiというバンドを知って、主題歌シングルのB-sideがとても綺麗な歌ばかりで衝撃を受けて、Galileo Galileiにハマったんですよね。

アルバム「POTAL」もよかった。

その前のアルバムも。

でも、今じゃ彼ら(Galileo Galilei名義時代)の曲を聴くことが、できないんですよね。精神的に。

あの頃は退屈だったけど、彼らの音楽に救われて、楽しかった。体内の時代にGalileo Galileiはピッタリはまっていた。

それゆえに、思い出を壊してしまう恐怖から、今じゃアルバムを聴くことはできない。

ちょっと聴いたら、アノ頃の思い出がぶわっと湧いてきてクソデカ感情になって泣いてしまった。

マァ、よくある話だと思うんですけどね。


有酸素運動

今日のジョギングBGMはリーガルリリ

いや、天才バンドだね。ホント素晴らしい。

ただ、走ってる途中、どうしても頭の中で自分との対話になってしまうんですよね。

そのうちだんだんドス黒い感情も湧いてきて、怨念をTwitterでさきほど放出していたんですが。

ネット上の人間関係についての簡単な怨念。

邦題「ネット上の人間関係に関する簡単な調査」

The1975のこのアルバムは、まさに風刺だ。
「インターネットと結婚した男」みたいな曲があるくらい、風刺的だ。

しかし、邦楽は、なかなか風刺的テーゼが足りない気がする。

「きみとぼく」だけの人間関係じゃなくて。もっとポリティカルに……。

少し(わりと)前に斬新なMVで流行ったOK GOだって、ポリティカルな歌もあったのに。

ブルーハーブイースタンユースみたいな風刺を行えるバンドはあるのだろうか。
amazarashiの『令和二年』

Civilianの『遥か先の君へ』

こういう曲が増えて欲しいな(演ってる人には慇懃無礼すぎる言い様だが)。