大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

Galileo Galilei 再結成によせて

タイムラインでGalileo Galilei再結成の文字が踊った。

本当なのかと、リアルタイム検索。

マジだった。

私にとってGalileo Galileiは、多感な10代後半から20代前半まで、一番聴いた活動中の邦楽ロックバンドだ。

はじめに出会ったのは、駅前TSUTAYAさんで借りた、アニメ「あの花」OP、『青い栞』である。

正確に言えばおおきく振りかぶってとかAUのCMで認知はしていたが、「あの花」が面白かったし、OPもいい曲だな~と漠然と思っていて、何気なく駅前TSUTAYAさんでレンタルしてみた。

表題曲『青い栞』の再生が終わり、カップリング曲がはじまる。

ここで衝撃が走る。



実際に聴いて頂きたい。『青い栞』と、そのカップリング曲『SGP』『スワン』を。


『SGP』の、このザクザクしたエレクトロ。バチバチに来た。 このときからだろうか、私はロックには電子音がなければつまらないなと思うようになった。

『スワン』の、まっすぐなシューゲイザー。あの頃、オアシス系でシューゲイザーは少しは周知していたが、やはり日本語のシューゲイザーは新しくて、これにも衝撃を受ける。

そして、全3曲のリリックすべてに、センスを感じ得なかった。

こわいくらいに青い空を遊びつかれた僕らは きっと思い出すこともない ―『青い栞

どのくらい泣いて どのくらいここで 噓笑いをしていたんだ ―『SGP』

心療内科の受付横の窓からみえた 砂場の如雨露に苔がむす 揺れていたブランコは一つに結ばれ「ここにいる」なんて言葉は嘘になるんだろうな ―『スワン』


病み気味の私にとって、ダイレクトな歌詞。少し病んでいる人には、この歌詞に共感するはずだ。


旧譜も聴いた。

この頃のGalileo Galileiはよくあるギターロックバンドだと、当時は おざなりにしていたが、20代になってから、この頃のガリレオの青臭い青春感覚。初期衝動。そして年齢に比例しない大人が思いつくような超インテリな歌詞をしみじみと感じるようになる。

とくに――

受け入れることは 染まるのとは違うから 『ハマナスの花

すごい歌詞だと思わないですか。17ぐらいの青年が、こんな歌詞を描くなんて、想像つきますか?

今じゃすっかりGalileo Galileiの黎明期が大好きになった。よくあるギターロックバンドじゃない、等身大の自分を描き、かつアタマの良いバンドだと思っている。

「あの花」の放送が終わって、次は「ガンダムAGE」のタイアップ曲を聴く。


開いていく天の窓から刺すような胸の痛み 眩しすぎるほど 『明日へ』

ガンダムにおけるスペースコロニーを、「開いていく天の窓」と表現するセンス。すげぇーなこれ。

―そんな翌年。2ndアルバムPORTALが発表される。


聴いたこともないシューゲイザーと電子音の玉手箱。

日本にこんなバンド、ほかにあったか?

驚愕した。他のバンドを引き合いに出して申し訳ないが、バンプ系とは断然違う音を鳴らすバンドと確信する。

いざ現場に行くぞと、ツアーに応募したけども、あえなく落選。

初めて行けたのが、2013年の『Galileo Galilei ALARMS TOUR 2013』

若かったなーあの頃は。

補足しておくと、Galileo Galileiは、私がライブで姿をみることなく二人が脱退して、東京から北海道に引き帰った。

2022年現在の話になるが、脱退した岩井郁人氏を含んでGalileo Galileiが再結成する。ライブでその姿を観たことがない岩井さんに、これからのGalileo Galileiで出会えると思うと感謝あるのみだ。

その後もけっこーライブにも足を運んで、夜勤バイトして予備校を通う忙しいルーティーンでも彼らの音を聴き、辛いことも楽しかったことも、Galileo Galileiと、あの頃の自分に刻みつけられている。

横浜の奥の、貧相な丘陵地帯に住んでいた私にとっては、街の暗さを打ち砕くものを感じた。

Galileo Galileiは、常に進化し続けるバンドだ。

ベストアルバムで変遷を追っていけばわかるが、当時のバンドたちとは一線違う進化を成し遂げている。

洋楽シーンを意識する曲を次々とドロップしていく。

自分も音楽知識もどんどん積み重ねていって、昔のシューゲイザーやあの頃のトレンドと比較して時代を意識した。

THE 1975の『chocolate』をカバーしたのは良かったな。

解散が近づいていくGalileo Galileiで一番好きだったのが『バナナフィッシュの浜辺と黒い虹』

このベスト盤より、このテイクが最高にいい。

そして運命の2016年がやってくる。

2016年冬。Galileo Galilei解散決定。

そしてドロップされたアルバム。『Sea and The Darkness』このアルバムにはとんでもない力が込められいた。

ドラム尾崎和樹氏の切実な、あまりにも切実な、切り込むがごとき演奏。

とくに『ボニーとクライド(アルバムバージョン)』のドラムが、とんでもなく激しいんだ。

必聴である。

『Sea and The Darkness』のツアーにはいけなかったが。なんと武道館ラストライブのチケットを争奪した。

泣いた。ひたすら泣いた。泣いたとしか書きようがない。めずらしい過去の曲も次々と演奏され、『バナナフィッシュの浜辺と黒い虹』のAimerとのドュエット。私は生きていてよかった夜を見つけたのだ。

「バイバイ」

ライブが終わり、こんなメッセージが掲げられた。

もう、俺の青春はこれなんだ。これしかないんだ。そう思った。

このライブが終わったのち、私の体調が徐々に不調に陥る。

同年。おっかけてた某人気声優の休業と、Galileo Galileiと同じく愛していたバンド・plentyの解散。

予備校と夜勤を続けていた身体にガタが来たか、2017年に僕はバイトをやめた。


だが、尾崎兄弟ひきいるGalileo Galilei後のプロジェクトは次々と進んでいた。

尾崎雄貴WARBEARというソロプロジェクト。

さらに Bird Bear Hare and Fishという、Galileo GalileiメンバーにDAIKI氏を加えたプロジェクト。

尾崎雄貴さんたちは、解散しても前向きに活動を続ける。

Galileo Galileiを終了したのは、おもちゃの車から降りたから」

そんな言葉で、2017年以降の活動も精力的に始動しはじめる。

バンド名をBBHFに変えてしまうほど変化し続けるのである。

しかし、突如舞い込んだ悲報。

Galileo Galileiの頃から尾崎兄弟と友達の、最古参メンバー佐孝仁司氏の脱退。

これには非常にショックを受けた。

そして自分は、BBHFへの熱意が急速に下がる。

もちろん曲は出るたび聴くが。やっぱり最古参のさこぴーが居ないと、ダメなんだと。

あと、冷めた理由の一つに、「BBHFのファンの写真でコラージュ画を作ろう」という企画に自分の写真を送ったのに採用されなかったこと。

そんなふうに一歩手前に戻って彼らを聴いていたけども。

しかし、今日突如ゲリラ的に発表されたGalileo Galilei 再結成宣言」

めまいがした。動悸がした。

俺の多感な青春期にブッ刺さったGalileo Galileiが、あのGalileo Galileiが、そのGalileo Galileiが、再結成する。。。

文字にできない万感の思いが押し寄せる。

辛かったときも、楽しかったときも、そばにあったGalileo Galilei

最近になって、横浜のイナカ地帯から引っ越した僕は、Galileo Galileiは過去のものなんだと、生まれ変わっていくものなんだと、前に進んでいくものなんだと、ガリレオ解散後のプロジェクトを前向きに捉えるため、「あえて」武道館ライブのBDを売った。

引っ越した都会の方の横浜の景色には、ナチュラルな自然と調和するようなGalileo Galileiの歌とは似合わないような気がしたからだ。

Galileo Galileiで最後に発表された曲『車輪の軸』


キスしてさよならだ 過ぎ去っていく日々に 『車輪の軸』

ここで、Galileo Galileiの終わりを、区切りをつけて、「さよなら」なんだと。私は武道館ライブBDを手放した。

だが、彼らが戻ってくる。

その衝撃に、僕は耐えられるだろうか?

新たなGalileo Galileiの開拓精神を受け入れたい気持ちと、思い出を壊されたくない気持ちがないまぜになった脳内。

だけど、やっぱり踏ん切りを付けた。

ファンクラブに加入して、復活ライブ先行抽選にエントリーした。

これには当選したい。絶対に当選したい。やっぱり当選したい。やっぱり観てみたい聴いてみたい。

あの頃の青春と今の自分。それに向き合う「鏡」が、私にとっての「Galileo Galilei観」なのかもしれない。