ちょうど干支が廻った前。
ぼくは高校生になった。
同じ中学の友達が全く居ない孤立無援の状況で友達も作れずボッチだった。
ぼくは、その頃。横浜のイナカの部分に値するトコロに住んでいた。
通っていた高校もイナカだった。
横浜市は都会に見えるが大部分が田舎である。
みなとみらい、横浜駅前は一種の憧れであった。
その頃見てたアニメも、妙に都会的な舞台のアニメが好きだった。
禁書レールガンとデュラララが好きだった。
休日はよくチャリを走らせ中学の頃の友達と横浜駅西口で買い物をしに行ったものだ。
そして、中学卒業の春休みからずっと、親父からのすすめで尾崎豊の『卒業』を聞いて、なんとも言えぬ感傷に浸ってた。
この歌は高校に入っても耳から離れずにいた。
中学高校から続いていた くそ田舎から早く自由になりたかった。
だが、進学にあたって自宅から近いところを選択した。
これが失敗だった。
都会に憧れるぼくは休日には用事はなくともヨコハマに向かった。
夕焼けを見ては尾崎の歌を思い出していた。
アニメ「けいおん」と「エンジェルビーツ」にはまってたが、どちらかといえば「卒業」をテーマにすえるエンジェルビーツに共感してしまった。
この頃から不登校癖がついてきた。
けいおんのゆるふわ曲より社会派なエンジェルビーツの曲が好きになっていた。
週に4回ぐらい、親に内緒で学校に行かずに電車の反対の横浜駅に向かっていった。
一人でブックオフとかゲーセンとか行ってた。
早く自由になりたかった。
エンジェルビーツが終わってけいおんが2クール目になるころ、けいおんのような青春なんてねえじゃねえかと思って、ぼくもエンジェルビーツ的に、尾崎豊的に「卒業」をしたかったので、高校を夏アニメが始まる時期に中退した。
その頃の日本は原発事故前で、浮かれていた。
サッカーワールドカップとか、ニコニコ動画や、2ちゃんねるまとめアフィブログや、初期のTwitter文化とか、漫画ではジャイキリや、宇宙兄弟みたいな、ロマンのある作品が隆盛して、フルデジタルに刷新したハートキャッチプリキュアが放送していた頃だ。
宿題やらなんやらよりそっちの方が面白かった。
尾崎豊は『卒業』でウォークマン越しに「あとなんど自分自身卒業すれば本当の自分に出会えるのだろう」とイヤホンで何度も叫んでいた。
『エンジェルビーツ!』のキャラクターたちは全員「卒業」していった。
ぼくは決心して夏アニメに変わる時期ぐらいに完全不登校になった。
すべてがめんどくさくなった。
『けいおん!!』は夏の2クール目から見なくなった。
理由は、つまらなく感じたからだ(今は人生ベスト級に面白い作品だと思っている)。
鬱病の兆候はこのあたりからあったのかもしれない。いや、すでに鬱病だったのかもしれない。
違う高校に行った友達が、Hi-STANDARDの『MAKING THE ROAD』のCDを貸してくれて、夏の暑さと共に何かがブチギレたような感覚に襲われた。
学校いかねえ人生楽しすぎるわ。
見ろよ、このメイキングザロードのジャケットの爽快感。
聞けよステイゴールド、ディアマイフレンドの疾走感。
今度は東京を目指し、クソ暑い中 中学の頃卒業旅行のディズニーシーの隣にある葛西臨海公園まで横浜からチャリで丸一日かけて行った。凶行である。
2010年は本当に明るい年だった。たぶん、この実在論的に言えばこの日本社会も、実存的に言えば自分の人生も、この2010年が最高の年だったんじゃないかな。
しかし、尾崎の唄う『誰も気づかない、仕組まれた自由』とは何なのだろう。
ぼんやり聴いていたが、あの頃にはさっぱりわかんなかったな。
今は、竹田青嗣の哲学解説書とか読んだり、吉本隆明の共同幻想論をバイブルとしているから、『仕組まれた自由』が何なのか、判っている。
たとえるなら、『METAL GEAR SOLID 2』における、『愛国者達』的な支配だ。
まぁ別に誰からも支配されようがどうでもいいのである。
ただ僕は羞恥の意識からコンビニ夜勤をはじめ、中退後数年後高認を受けて大学受験勉強までしてたけど、めんどくさくなって辞めた。
2017年か。
渋谷のモアイ像喫煙所。ラキストを一服し、TETOの『高層ビルと人工衛星』を聴きながら夜の摩天楼を見上げたのは。
つぶさに貧乏吸いしたタバコのフィルターを灰皿に投げ入れ。僕は無職になった。
そして今に至る。