『青い春』(2002)
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音楽は、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT。
並びに、ミッシェル系の日本のガレージロックバンド複数組が挿入歌を務める。
劇中にBGMはなく、これらロックバンドの演奏のみが流れる。
学ランのヤンキーたちが、暴力やイジメや非行を行うシーンに、激しくギターが鳴り響く。
ヤンキーがギターを練習するシーンもあった。
私は当時の世代ではないので、証人というわけでもない。だが、この頃のロックミュージックは、ヤンキーのものであったということを実感できる映画だ。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文は、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』に際して、その頃の現実をこう証言していた。
いわゆるロックをある種の不良性から奪還(追記:解放と書いたほうが正しいかも)したことはひとつの成果なのではないかと『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ながら思った。
(中略)
俺たちはロックが持つある種のドレスコードに反発していた。それは華美な衣装や化粧だったり、革ジャンのイメージだったり、あるいはハーフパンツとクラウドサーフだったりした。デビュー当時は「あんなのはロックじゃない」と散々言われた。
(書くまでもないがASIAN KUNG-FU GENERATIONはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの強い影響下にあったバンドのひとつである。)
現在29歳の私は、2000年代の小学生の頃。しばし警察沙汰になるほど問題児なヤンキーの友達(?)が居て、いじめられたり、殴り合いを強要されたり、家に呼び出されて、般若とかトコナXの日本語ラップを聴かされていた。
日本語ラップの歴史が、「フリースタイルダンジョン」などで詳らかになった現在なら、分かってくれると思う。
当時のアングラな日本語ラップ、ひいては、昔の般若/妄想族やトコナX/モサドみたいな「イカツさ」と同等なものを、邦楽ロックは携えていた。そんな時代が確かに存在していたのだ。
あとは、押尾学の存在も思い返してほしい。彼もヤンキーロックの代表格である。
音楽映画として観れば、本作品『青い春』は、2000年代初頭の邦楽ロックシーンのリアルを垣間見れる。時代を切り取った証拠フィルムと言っていいだろう。
顧みて、「ロック=ヤンキーのもの」という構図など、2023年の現代の感覚では全く結びつかない。
「ヤンキーロック」以降、邦ロックは「ロキノン系」「サブカルクソ野郎」のものになった時期を経たが、日本語ラップの現在地と同等にロックもポピュラー化の一途を辿って、今がある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』現象もその一つに過ぎない。ロックはポピュラー化したので、フジロックやサマソニに海外の大物ロッカーがお金を稼ぎに毎年来日する。
老若男女。陰キャ陽キャ。誰しも、ギターロックを当然に享受する2023年。
21年前に撮られた、この映画は、アジカンが直面したロックの不良性を垣間見れる貴重な証拠物件だ。
ヤンキーにはヤンキーのロックがあったことを、忘れないでほしい。