大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

『秒速5センチメートル』における『one more time one more chance』新説


僕は秒速5センチメートルを何度観ただろうか。 実際パトレイバー2に匹敵するほど、超ヘヴィーで観ているのは確かだ。

もはやポエム台詞ひとつひとつがオルガ・イツカの詠唱のように聞こえる。

ここでは小説版の話は加えない。映画逆シャアでベルチルの話をする人はいない。

ということで、秒速についてものすごい暴論を思いついた。これは多分俺しか思ってない新説です。


『one more time one more chance』の歌詞中の「君」とは、過去の貴樹自身のことである。


3章。クライマックスにて、遠野貴樹が「会社を辞めた。」とモノローグで語り、コンビニに入り、店内BGMで『one more~』が流れるシーケンス。

「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその想いがどこから湧いてくるのかも分からずに、僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった。そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった想いがきれいに失われていることに僕は気づき、もう限界だと知った時、会社を辞めた。」

このモノローグで重要なのは、「かつてあれほどまでに真剣で切実だった想い」の部分。

「真剣で切実だった想い」とは何か。

このシーンの直前では、貴樹が3年間付き合っていた女性(水野理紗)との悲恋で落胆するシーンが置かれており、コンビニに入って、明里との交差するモノローグ(「昨日夢を見た~」)が入るゆえに、あたかも貴樹が恋愛のみについて思い悩み、「真剣で切実だった想い」を「恋愛」とイコールするように感じ取れてしまうが、貴樹は、決して“恋愛のみ”を考えているわけではない。

それは、貴樹がふと立ち読みコーナーの宇宙探査衛星の雑誌を手に取る部分で分かる。

2章で、貴樹は同じく宇宙探査衛星の雑誌を読んでいる。人工衛星の孤独を自分の孤独と重ね合わせている。

「それは本当に、想像を絶するくらい孤独な旅であるはずだ。本当の暗闇の中を、ただひたむきに、1つの水素原子にさえ滅多に出会うことなく、ただただ深遠にあるはずと信じる世界の秘密に近づきたい一心で。僕たちはそうやって、どこまで行くのだろう。どこまで行けるのだろう。」

このモノローグにあわせて映し出される映像は、幻想の世界の中で、明里の面影を持つ女性と二人きりで並んでいる自分の妄想。

この時点で、明里は過去の存在になっている。明里の横顔を見るカットで貴樹の表情が少し悲しげになるのは、もう明里との距離が絶望的に隔たれたことが明らかになってしまった証左だ。この一瞬のカットが重要なのである。

貴樹は「迷ってばかりなんだ」とも、2章ヒロインの澄田に吐露していた。

澄田は、遠野貴樹が「もっと向こう、ずっと向こうの何かを見ている」と看破した。

それだけではない。澄田が同時に悟ったのは、貴樹の遠距離恋愛じゃなく、もっと達観した、「何かを見ている」ということだ。

遠野貴樹の心理分析はこれにて完了する。

貴樹はもう、鹿児島に引っ越した時点で「君の姿」を見失った。

妄想の世界で明里の姿を見失い。出すあてのないメールで、小説の文体じみた文章を綴り、迷ってばかりの自分を見失い。その延長で、3章の、明里とは赤の他人の「3年間付き合っていた女性」と1000回もの通じ合わないメールのやり取りをした。


―『秒速5センチメートル』のタイトルがバッと現れ、『one more time one more chance』とともに、登場人物全員の「想い」がリフレインされる。

皆が探していた。誰かの面影を、過去を。

最後。つながる踏切のシーン。

貴樹は、ついに明里にめぐりあうことに成功したのか?

いいや違う。過去だ。過去を見つけたのだ。虚空の中に過去を見出したのだ。過去の無邪気な自分を精算したのだ。

純愛なんて嘘っぱちだということを、貴樹はリフレイン・シーンで知っていた。

水野と同衾するが、背を向け合うカット。

これは決定打だ。

もはや「純愛」の心までも見失った。

恋愛などただのトリガーだ。他人の姿を探しているつもりなのだろうが、すべてを見失ったものが探すものは、熱い感情を持っていた自分自身だ。

―踏切の遮断器があがり、線路の向こうには何も居ない。虚空。だが、遠野貴樹は探していたものに出会えた。

小学生の頃、いちばんはじめに見つけた、自分自身の心の内を。

遠野貴樹は再び見つけた。

そしてふと笑うように去っていく。

ほかの誰でもない、虚空に描き出された自分自身に、愛をこめて。


以上、こじつけにこじつけた暴論でした。

書くのやめようとしたけど途中で思考停止するのはナンセンスだと思った。

だって、『one more time one more chance』を鬼リピしていると、「自分自身を探す歌」に聞こえてくるフィーリングがあったから。

そう聴こえるのは、僕だけなのか。