大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

戦争という祝祭「ザ・ウォール」

時事的だったんで「アルマゲドン」を観たけど、なんか感動しなかった。何百回も観てるせいか。

やはりウィリスは「ダイ・ハード

しかし、こういう“アメリカニズム”をドーンとやられると、やっぱり男として昂ぶるものがある。

あるのだが、やっぱり戦友とのホモソーシャルが、敵と戦っていないゆえに希薄化されている。

アメリカニズム”だったら、やっぱり僕は王道を行く「ブラックホーク・ダウン」が大好きです。

なんか戦争映画を観たくなっちゃって、ついでに「ザ・ウォール」を観たのですが(感想の仔細は後述する)。


本題なんだけど、いわば戦争って祝祭じみた行為だと思う。

ナポレオン戦争以前の戦争も、以降も何も変わらない。

戦闘服を着て闘いに赴く。

銃声はまるで花火の音のよう。

アドレナリンの放出。

そしてホモソーシャル

戦争と言ったら、モビルスーツ同士の戦闘も、派手なガラしたモビルスーツがハデなビームをビュンビュン飛ばす。

悲惨な死体や血をみなければ、お祭りなのだ。戦争は。

そしてダグ・リーマン監督の「ザ・ウォール

これはやばい映画ですね。ネタバレは避けます。

これはサディズムの映画です。

中東の戦場は憎しみの連鎖で出来上がった戦場です。

敵も味方も、仲間を守るために戦うのです。

しかしホモソーシャルという大義名分を掲げても、弾丸という鋭いモノで撃ち貫く行為は一方的な破壊。サディズムはそこにあります。

憎しみがサディズムを呼び、この映画の主人公は何度も敵に弄ばれます。

敵はサディズムに酔いしれるかのごとく戦争という祝祭を味わう。

その様子があまりにも凌辱的すぎて、この映画はアメリカの恥部を曝け出すような試みを感じられました。

共感性羞恥みたいなやつでしょうか。それのものすごいサディスティックにもてあそばれる映画がこれです。

90分あっという間。構築されてますね。この映画は。

一度も時計を見ないで観た映画ってのは、「判りやすく」「目的がハッキリとしてあり」「手段が限られている」という3つで構築された内容なんですよ。

ランボー最後の戦場」も同じように。

いやーしかし。この「ザ・ウォール」はほんとよく出来てます。観てください。