またも「ファイトクラブ」「マトリックス」問題。
Qアノン、ポスト・トゥルース、トランピスト、そしてオルタナ右翼たちのバイブルに成り下がってしまった、悲しきこの二作。
欧米圏では、欧米人が演っているこれらの映画が、ものすごくリアルに視えるのだろう。
アジア人が大半を占める日本国民と、ブラピとキアヌじゃ人種が違う。文化が違う。背景が違う。歴史が違う。
清義明さん
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が切っ掛けで、ボードリヤール的な「ハイパーリアル」な世界、がこの映画を指すということを理解した。
要するに「オマエの観ている現実は現実なのか?」という、高校倫理程度に出てくるデカルトの古臭い「懐疑論」だ。
海の向こうの欧米圏は、いまや「ハイパーリアル」のもと、人々が全てを疑ってしまっている。
それはもう、先のアメリカ大統領選挙で、トランピストたちがヒステリーを起こしていたことを思い出せば日本人にも恐ろしさが判るだろう。
あの大統領選挙で、メディアが次々に報道したのがアメリカ社会の「分断」だ。まだ記憶に新しいこの言葉。
あのとき、「ハイパーリアル」な世界を観ている連中と、正気を保っている連中がぶつかりあった。
その「分断」は、こんにちのウクライナ戦争が起こる前からウクライナ国内にあったわけだ。
それが遠因なのか直截の原因なのか、ウクライナ戦争が起こってしまった。
清さんは、「デカルト的懐疑論」に基づく「ハイパーリアル」と「サイバーパンク」がウクライナのオルタナ右翼を焚き付けたそうな。
確かに、これらはわれわれ日本人も好きな藝術の手法だ。
「タイムリープもの」がウケるジャンルとして確立してしまっていることは、「シュタゲ」から「リゼロ」「東京リベンジャーズ」まで見れば明らか。
さらに、昨今の「異世界もの」の狂乱的ムーブメントも、一種の「ハイパーリアル」なジャンルだと僕は思っている。
タイムリープにしろ異世界にしろ、少なくともそのボリューム層である日本のオタクたちは、辛い現実から目をそらすために、苦悩するタイムリーパーたちに共感し、辛い現実から目をそらすために、絶対に存在しえない優しい異世界で、自由自在に最強になる物語に安心を求める。
さらに僕は思い出した。オタクたちは、きらら的な「日常もの」にすら、シリアス要素を拒み、いわゆる「美少女動物園」に安寧を持つという(山本寛さんのような考え)。
…まぁ、そりゃそうだな、「NEW GAME!」なんて「オッサンが頭おかしくなって全員を美少女だと思いこんでいるゲーム会社」というまだ笑える意見があったほどだ。
「ハイパーリアルなサイバーパンク」と言えば、スイッチもPS5も日本人が作った商品だ(サイバーパンクウンタラとかいうゲームの商品名じゃない)。
しかし、これはもはや、オタクはオルタナ右翼的な歪んだ認知の世界に片足を突っ込んでしまっているのではないか?
―逃げ場として用意された空間。
「タイムリープすれば消えてなくなる世界線」。「異世界」。「美少女動物園」。つまるところ、社会で疲れ果てた人間が「癒やされるアニメ映像の世界」
なんか、似てるかな? でも、まだ立ち止まって考えてみよう。これは僕がツイートで代弁した古谷経衡さんの意見だ。
ラヂオ聴いてたら古谷経衡氏が「わからないものがすぐに簡単にわかりたくて仕方ないという人たちが陰謀論にハマる」というけどこれは皆の心に誰にもありますねえ
— 寒村の善き農夫 (@_KUVO_) March 9, 2022
欧米のひとびとは、このような日本のオタクの現実逃避として、独自の奇妙な陰謀論に巻き込まれたのだろうか?
似ているが、やっぱり違う。やはりオタクはオタクの中で閉じこもっている。引きこもっているのだ
引きこもっているのは、完全に「新世紀エヴァンゲリオン」がアニメ文化のトライブに組み込まれているからだ(そこに「ガンダム」と「ジブリ」も組み込まれているということは後述する。)。
社会に疲れ果て、碇シンジ化した我々は、現実から逃避する。
だけどそれは、誰かの意見を押しのけて攻撃してまで掲げる世界観ではない。
「タイムリープ」も「異世界」も「美少女動物園」も、社会へのカウンターカルチャーでは無いのだ。
そもそも、クールジャパン文化はアニメ映像というものが主流になっている。
「アニメと現実は違う」「それはただの絵だ」と断定し、切断操作することが簡単に可能だ。
そして、クールジャパン・アニメ文化を支えてきた「ガンダム」と「ジブリ」には、「原理原則主義」がある。
頭の固い(悪口じゃない)爺さんが言うような、「現実をみなさい」という主義だ。
そう、庵野秀明も、ガンダムの富野由悠季も、ジブリの宮崎駿、高畑勲も、「現実をみなさい」と口を揃えて言った。
富野作品も、ジブリ作品も、とにかくその辺だけは真っ向から教条的である。
それを代表する二作を語ろう。
「原理原則主義」は、突き詰めるとこの鉄仮面とF91ガンダムの顔という形に繋がる。
「マシーン」が編み出した幻想、「サイバーパンク」「ハイパーリアル」に溺れた鉄仮面。
そして、「マシーン」を教条的に使うことで、アニメは啓蒙になると考えた富野由悠季監督の、この画期的すぎる「機動戦士ガンダムF91」のラストカット。ここは、ワタシ的には富野由悠季がキャリアの中で言いたかったこと全てが凝縮されているんだと思っている。
ここだ。ここに根気をもって踏み止まるのだ。
「千と千尋の神隠し」
「千と千尋の神隠し」も、千尋が「ハイパーリアル」に直面する物語だが、汗水働き、優しさを以ってハクを救うという、逃避的ではない、現実的な生存活動の体験を以って、現実世界に帰ることが出来た。
この「千と千尋の神隠し」は、現実からの逃げ口を探す「ファイトクラブ」「マトリックス」に大きなカウンターになる作品じゃないだろうか。
それと、押井守の「うる星やつらBD」から続く懐疑論も「パトレイバー2」で決着を出した。最後は南雲さんが柘植を現実に引き返した。なんやかんや押井さんも啓蒙家である。
私の敬愛する伊藤計劃氏の「虐殺器官」は、小説当時と映画版が10年ほど隔たれて上映された。
ちょうど、トランプが第一期の大統領の椅子に坐った時期だ。
小説版は、「虐殺の言語」なる幻想に奔走し、人類は滅亡に向かったが、映画版は、「世界が滅ぶかはあなたの想像次第です」というスタンスに落ち着いていた。これは、どうしてもトランプ旋風とフォーカスが合っていたとしか思えない。