なぜロシア兵はジェノサイドに踏み切る心理に至ったのか。
テレビのコメンテーターか何かが言うには、撤退時に背中から撃たれないように完全無力化するそうな。
まず第一に、ちくま学芸文庫「戦場における「人殺し」の心理学」や、僕の好きな映画「ブラックホーク・ダウン」や多くのベトナム戦争PTSD映画に語られてるとおり、仲間たちが撃たれるより自分が撃たれる方がマシだ。自国民や、戦友を守る。という思考に至って、ジェノサイドが発生するというのは判った。
もうひとつは出版社同上の文庫本「普通の人びと」のホロコーストにおける官僚化、分業化と順応させていくアジテーションと同調圧力がジェノサイドに慣れさせていったと僕は解読した。
戦友との仲間意識、分業化と同調圧力の空気で薄まる罪悪感への慣れが、いわば「虐殺器官」が脳内で働く仕組みになっているわけだ。
「虐殺器官」では、集団の言語体系の中に「虐殺の文法」が存在すると云う。
そしてジョン・ポールは、先進国という仲間のために途上国に虐殺の文法をばらまいた。
英語がリングア・フワンカの、愛するものたちに危害を加え無いよう、ばらまいた。
ジョン・ポールは妻を失い。クラヴィスは母を「ことば」で殺し。
終盤では、ジョンがその力を使う理由が明かされ、クラヴィスはその力を行使する。(その様は、伊藤計劃氏が嫌悪していた「セカイ系」的な描き方だが)。
とにかく、仲間のために。だ。
やっぱり、この問題は「ブラックホーク・ダウン」のラストで「俺はまだ戦場に行く、戦争中毒じゃない。仲間のためだ」という決意に終着するのだ。
「虐殺器官」の、「脳内を操る言語」というギミックは、ある意味上述のドキュメンタリー文庫とやや異なるかもしれない。
ヒムラーやゲッペルスやアイヒマンを産むにはもっと複雑な過程が存在する。
言葉ごときで脳にカチンとこさせて国の主導者や兵士たちをジェノサイダーにするただけで人は虐殺者になれるわけがない。もっと大きな過程を用意する必要がある。
こないだ観たダグ・リーマン監督の。衝撃の。戦争を小さな構図に落とし込めた「ザ・ウォール」もそうだ。
上述「戦場における人殺しの心理学」には、距離感が敵の殺害の加害意識を「ぼかす」。
ホロコースト研究書では、ナチス当時の政権下は、プロパガンダで大衆を誘導させて、多くの人々が官僚的に分業化して「慣れ」を起こす。と多く書かれている。
虐殺の言語というギミックは、やはり無理があるのかもしれない。
映画「メッセージ」ことハヤカワSF「あなたの人生の物語」の表題作で、宇宙人が使う未来予知言語というものを「虐殺器官」のように何も明かさないギミックとして書いた。
ジェノサイドは多種多面の心理と扇動によって起こされるのだ。
うーん。やっぱり、私の主観的だが、言葉というだけのギミックでは虐殺は起きない。
しかし、だが同時に、虐殺器官の内容は「ありうる」ものであると少しは思わせられる。
やはり、対テロ戦争の00年代と、2022年の大国と衛星国の戦争はもう違うんだなと思った。
ただひとつ言えることは、「戦争は変わった」。