大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

「わかりやすく」「いち早く」「簡単に」物事を理解したい心理の危うさ。

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こないだか。僕の家にはテレビがないので、ラヂオで流し聴きしていたウクライナ情勢に関して、古谷経衡氏は「わかりやすく物事を理解したい人が陰謀論にハマる」と言っていた。

昨晩、震源付近は6強だかの大きな地震があった。

パソコンを開けばヤフーリアルタイムのトレンドに「人工地震」の四字熟語がおどる。

クリックすれば、人工地震を信じている人のツイートがそれ相応に流れてきた。むろん、人工地震なんてバカな話あるわけないという冷静なツイートがあったが。信じている人の臆面もないそのツイートに別の意味で震えた。

2020年の春。コロナウイルスが世界の風景を変えた。

完全なる「理解できない物事」の到来だ。何が正しいのか判らない、ポストモダンを超えたポスト・トゥルースが、この日本国にもやってきた。

僕はといえば無精者。マスクも近くのコンビニに行くぐらいではイチイチ付けないし、ワクチンもめんどくさいし、なんか刺すのとか痛そうだし、先端恐怖症なのでやめた。陰謀論ではなく、めんどくさい論として拒否した。

ノーワクチンには3つの捉え方がある。めんどくさいか、ワクチンの中身が判らないから怖いか、ワクチンの裏には大きな陰謀があるか。のどれかがグラデーション的に存在している。

「ワクチンの中身が判らない」という感覚は、心情上理解できる。まぁ判らないから仕方ないでしょう。

しかし、その心情に巨大な陰謀<たとえば人工削減とか>のグラデーションが覆い尽くしてくると、人はみな思考を止める。常軌を逸する。

コロナ以前は5Gがどうこう言ってたね。あれは皆バカにして遊んでたぐらいだったが、5Gとワクチンでは、ワクチンの危うさにリアリティを持つ者が増えるだろう。

そして、この泥沼化したウクライナ戦争で、海の向こうで戦争が起きているモヤモヤ感を払拭したいがために、DS(ディープステート)論が跳梁跋扈する。

さらにゼレンスキーがパールハーバーを引き合いに出したことによって、複雑化し泥沼化したウクライナ戦争を「わかりやすく」「いち早く」「簡単に」わかりたい人たちが、さらにDSとか言い始めるのだろう。

この発言は、ネトウヨと接続されてしまうかもしれない。そして、ネトウヨと接続してはいけないのだ。

ネトウヨは実際いまだに駆逐されていない脅威だ。ジャパン・アズ・ナンバーワンの幻想を持つひとたち。

彼らのエコーチェンバー内で、増幅され培養された「ポスト・トゥルース」が吹き上がった時。日本はJアノンと理性派に分断されるだろう。

そして、その恐怖を、われわれはすでに目撃しているのだ。

お忘れではないだろうか。コロナが到来して直後の、あの狂騒的な社会。

「俺コロナ!」ごときで捕まったヤツを敵将討ち取ったかのごとく報道し、休業要請に応じないパチンコ屋をヘリコプターで撮影してメディアスクラムする。

自粛警察の到来。

街では戒厳令のように「クラスター指定されています」と警察車両がウンウン廻る。あのときのことを。

だが、まだ私は信じたい…。

冷笑系的理性」と「ひろゆき的論破マインド」がコモンセンスとなっている、日本人の本性を。

しかし、「冷笑系的理性」の部分は、その「狂騒」に回収された。「パチンコ、ばかじゃねーの」「俺コロナ、ばかじゃねーの」みたいなふうに。

今後の日本人の風向きやいかに(憂国)。