というわけで、時勢に取り残されないように話題映画は観に行きます。
「ザ・バットマン」。いかがでしょう。これ。なにより、この。長さ。
そしてこの、フィンチャーがセブンでやって流行った、伊藤計劃いわく「世界精神型悪役」サスペンス。
ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。 伊藤計劃「ゾディアック」
「ゾディアック」 - 伊藤計劃:第弐位相
というかこれ、まんまゾディアックだよね。昔のフィンチャーだよね。長さ的にもゾディアックだよね。
セブン以降大ブームになったこの手法。「世界精神<ヴェルトガイスト>」とは聴こえがいいが、単にミステリに「意味」を紐付けてるだけのジャンルな映画です。
そういうのが好きな人はオシッコ我慢しながら観に行きなさい。ゾディアックが伊藤計劃氏みたいに楽しめたなら即行きなさい。
そして、ノーランを引き合いに出せばニワカ扱いされるが、してみよう。
ノーランのバットマンは、ゼロからバットマンが作り上げられていく過程を観る映画だった。
反して、今回のフィンチャー風バットマンは、バットマンの正体が佳境になって明かされる映画だった。この映画のバットマンは最初からバットマンなのだ。
最初からバットマンだから、爆破の衝撃にも余裕な構えを見せるし銃撃にも余裕な態度を取る。
バットマンが過去を明かさずとも、ファンは予め知っているうえ、バットマンという表題作の映画なので、バットマンは絶対無敵というバフをまとって序盤に降臨します。
そう、この映画はヒーロー映画なのです。ヒーローは死なないのです。バットマンは「ご都合主義的に死なない」んです。
バットマンの過去と正体が明かされた時に「あ、バットマン死ぬのもあるのかな」と思わせられますが、正体が明かされるのは後半なので、長い時間、死なないバットマンとリドラーのなぞなぞを解くの長い旅に付き合わされます。
ゆえに序盤は何度も時計を見ました。申し訳程度にカースタントのアクションシーンがありましたがバットマンは絶対死なないので何のハラハラ感もありませんでした。
そして明かされていく「世界精神型悪役」リドラー。
こいつが持つ「意味」とはなにか・・・。
ものすごく単純です。いつものやつです。「バットマン、俺はオマエと同類だ」です。
俺はお前と同類だ、なんて2022年のバットマンでまだ言ってるんですか・・・。
そしてQアノンを模したリドラーの配信とかナゾナゾ。これについては、なんか風刺的にQアノンをモチーフにしたけど、Qアノンを否定しきれてないので、わりと不謹慎(不道徳)に感じました。
そして今回のバットマンくんはねー。
もうナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーを彷彿とさせまくりですね。
ビフォー
アフター
トレント・レズナーのアフターな姿がバットマン的イコンでしたが、今回は、ビフォーな、優男な、エモボーイなトレント・レズナーの姿が今回のバットマンでした。
なんか、虐げられてる白人みたいな感じがあって、そこんとこジョーカーとも繋がりますかね。今の、ハリウッドの白人の扱い方をどうするか、的な。
キャットウーマンとの逢瀬も、この絶妙な距離感がすごくいい。3時間かけても二人はラブではない。バットマンのノワール的カッコヨサで、キスを交わす唇が遠ざかる・・・うーんいいねえぇ。
まぁ、とにかくこの映画は長すぎです。冗長すぎです。
ゴッサムシティのプロップとか建築とかレイアウトとかは圧倒的にダークナイトが上なので、本当に暗い画面をジーっと見つめるのがめんどい映画です。
この長過ぎる推理についていけなくて、途中で推理なんてどうでもよくなりました。
映画は2時間で収めてください。
まぁでも、謎解きで観客をグイグイ引っ張っていくので、惰性で見れると言えば観れます。
それと、時勢を表したつもりで出したQアノンがただのフリンジ程度なので、政治的なメッセージは皆無です。
そういう映画でした。