大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

もどかしすぎる『着せ恋』

『その着せ替え人形は恋をする』超面白水産なんだけど、同時に、観ているとやるせない気持ちになる。

何って、当然じゃないか。新型コロナウイルスがこのアニメの映す原風景を消し去ってしまったのだ。

2022年最先端を行くおたくでギャルな子が、2019年のコロナ前の渋谷に居る、この圧倒的矛盾。このもどかしさ。

このアニメの爽やかな青春に憧れても、このアニメのような経験はできないと思わせる。二度と戻れないコロナ前の世界。

ついに、現実とのギャップが圧倒的に襲い来るフィクションを目撃してしまった。

これは誰のせいでもない。むしろこのアニメが物凄くリアリティのあるフィクションだからしょうがない。

このアニメは今までの平成的ラブコメのパターンや常識を次々と破壊し、2022年代感覚の高校生同士を描いている。

なのに世界は、渋谷は、2019年のまま停止している。

もう我々は戻ることができないのか、コロナ前には。

もう、なんか、今の学生って可哀想すぎる。青春できなかった子どもたちがフーリガン化して暴れてもおかしくないよ。

そりゃ陰謀論だって流行るさ。

LGBTとかポリコレとかの、リベラルな運動が進んでいって今の時代があるわけだが、次に来るのは反エイジズム(反年齢差別)の時代が来ると思う。

コロナを経験した子どもたちと、コロナを経験せず大人になった人たちとでは、人材として考えるとものすごいジェネレーションギャップがあるじゃないか。

リモートでやっていた子どもたちと、アナログでやっていた大人たち。

この波は大きくなると思う。

それこそザ・バットマンリドラーたちのような、虐げられた子供たちがネットワークを通じて団結して社会に復讐するビジョン。

唐突に訪れたウクライナ戦争のように、何がおこるか判らない世の中だぞ。

このままコロナ共生社会が続くと、どんどんリアルとフィクションの乖離が激しくなる。

同時に、「被コロナ層」と「非コロナ層」で分断が生まれる。

そんな予感まで想像しながら、このアニメを観ていた。