大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

ウクライナの戦争を経て、我々は「マチズモ」「ホモソーシャル」とどう向き合えばいいのか

私の好きな映画はブラックホークダウン』だ。

仲間との絆。友情、それらを越えた連帯感。

「仲間のため」と締めくくられるラスト。

ホモソーシャルの権化のような映画だ。

しかし、敵軍の視点から見れば、米軍は侵略者。

そして敵兵はただの敵でしかない映画でもある。

「マチズモ」「ホモソーシャル
これらはかなり危険な概念であることが、今回の戦争に繋がってしまった。

広大なロシアを長年収めたプーチンは、権威ある「マチズモ」と「ホモソーシャル」の象徴であり、支持基盤は少なからずもそういう部分に憧れて票を入れ、トップに担がれた男だろう。

「マチズモ」と「ホモソーシャル」が権威となり、権力を掌握すると、やはり、今回のようなことが起きてしまった。

それは過去のスターリンも、レーニンも、ロマノフ朝も、イヴァン雷帝も、そのような権威を手に入れてそうなったんだろうし。毛沢東もそうだ。

そして、「民主主義が選んだ独裁的権威」として、「ヒトラー」は現れた。

「マチズモ」と「ホモソーシャルが、権威を握ってファシズムを誕生させる。それこそがヒトラーでありムソリーニである。

日本のファシスト外山恒一氏も、調べれば「ファシズム」とはそういうものを目指す存在だと判ってくる。外山恒一と我々団のサイトは、ポリティカルコンパス、政治自体の基礎教養として全てが記されているので、彼の文章は政治を語る上で絶対に読むべし(僕自身も10年前ぐらいに読んでかなり世界の見方が
変わった)。」
www.warewaredan.com


先に「マチズモ・ホモソーシャルは、アメリカでトランプ大統領府として産声を上げた。

アメリカ人は「愛国心」を何より至上としており、それによる連帯感を権威として おもねる。ゆえにQアノンもそこを突いてに登場したのだろう。

それこそ「ブラックホークダウン」そのものの考え方。

アメリカの子どもたちはヒーロー大集結の「アベンジャーズ」に夢中だ。

だけど、われわれは「ブラックホークダウン」や「アベンジャーズシリーズ」のホモソーシャルとマチズモに憧憬をたえずにいる。彼らが戦ってる映像は、とてもかっこよく見える。

そういう思想をいかに切断操作するかという時代の転換期に、ついぞ われわれは片足を突っ込んだ。

それが今回のプーチンの発狂とウクライナの戦争の正体であり、戦後処理の課題である。

しかし人類から「マチズモ」と「ホモソーシャル」の憧憬を切断操作しろだなんて軽々しく言っても、ハッキリ言って不可能だと思う。

マルクスはかつて、資本主義が加速し続け、資本主義に限界が訪れたときに、共産主義スターリニズム・マオイズムではない)が世界を作ると言った。

そして、19世紀から連綿と続く、資本主義が加速している2022年の今日において、人類は、プーチンの発狂に直面してしまった。

プーチニズムは、帝国主義の復古なのか。スターリン主義の再興を憧れる思想なのか。少なくとも日本の市民には到底理解が及ばない。

だが、この課題は現れるべくして現れた課題なのだと思う。

かりに、プーチンの頭の中が、領土を拡大せんとするアレキサンダー王と同じ妄想を抱いているのなら、なおさら、このアレキサンダー大王から続く「プーチニズム」を総括しなければならない。

この戦争行為が、全く利益を及ぼさない結果に終わるのであれば、人類は次のステップへと資本主義と民主主義を加速するだろう。

この加速の最中、再び戦争という野蛮な手段が現れるのであれば、それこそ「プーチニズム」に資本主義・民主主義が敗北する瞬間になるのかもしれない。

だが、人間の共同幻想には、「マチズモ・ホモソーシャリズムが根強くあり、それを伐採することは、人間をやめない限り不可能である。

しかし、逆説的に言えば「マチズモ・ホモソーシャリズム」は人間の本能なんだから、理性で抑えることは可能なのだ。

その理性がどこまで人間が持ち合わせているのかは、判らない。

ただただ、この「プーチン戦争」がいち早く終わり、それを全世界の人間が総括できるようになれば、人類は新しい未来を切り開けるはずだ。

新しい世界を切り開いていけ。



追記

徹底抗戦を掲げるゼレンスキーも、プーチンとは形を変えた、別の「マチズモ・ホモソーシャリズムだと思ってる。根底にあるものは同じだと思っている。

戦後のゼレンスキーが、ゴルバチョフのような冷静なインテリゲンチャの指導者であることを切に願う。