大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

「男の娘になりたい」は単なる承認欲求か?

f:id:doppoo-2007:20220109221155j:plain

kuvodopopo.hatenablog.com

のつづき。

これはとても難しい問題で。異性装をすることで社会のカースト最上位になれるというポリティクスな上昇志向で上記の記事を書いたが。

問題なのが「それはジェンダー云々ではなく、単なる承認欲求じゃないか」というものです。

僕は女装ガチ勢になってから性欲がなくなった。

女のハダカや性交の絵や動画でヌケなくなった。

女装した自分を姿見にうつして自慰をするときにしか射精できなかった。

という現象が女装に目覚めた時に起こったのですが、これって無性愛に近いのかな。女装に目覚めて2年。2、3回ぐらいしか外部的なオカズでオナニーをしていない。

初体験のときも、勃起せず、なんども恥部をこすりつけても勃起ができなかった。
思い返してもエロエロな状況なのに、ほぼ勃たなかった。申し訳ありません。

かといって僕はゲイじゃないし、もうサベツ的に明け透けに言ってしまえば女性が快楽を得ているさまも見苦しく思ってしまう。

成人向けコンテンツは、男の娘キャラが快楽堕ちするのを自分に投影して読むのが好きだ。
異性装をしている男性のポルノにも性的興奮を得る。ニューハーフヘルスに行きたい願望もある。
しかし、そういうポルノでヌくこともしない。何よりめんどいし。

そう、エクスタシーに達することがめんどくさくなったのだ。ぼくは。

射精にはエネルギーが要る。僕はそれをめんどくさがって、だんだん女性に性的興奮を得なくなったのかもしれない。

しかし、ゲイではないのでテレビの若いタレントの男アイドルとセックスしようなどとは妄想しない。
ナイスミドルな俳優にも性的魅力は感じない。

これまでがぼくの肉体上に起こった真実だ。



次は承認欲求について語ろう。

ぼくは異性装をして、人気者になりたい。
ぼくは女装をすればカーストのトップに君臨できるというアクロバティックなイデオロギーの持ち主だ。

男女からもチヤホヤされたいし、ガールフレンドだって欲しい。

そこで矛盾が生じる。
男性も女性も見下してるのに、そいつらに認められたい。

<女装>はただの方便で、ただマウントを取るための武器でしかないんじゃないか?という疑問が浮かぶ。

ストイックさこそ信仰心にも似た美徳とする僕は、贅肉をブヨブヨつけた いかにも男性的な人間にもなりたくないし、筋肉マッチョになりたいわけでもないし、チー牛にもなりたくない。

「見せつけたい。自分のスレンダーで中性的な肉体美を。」

これがぼくの美徳だ。

しかし、なぜマッチョではなく、非チー牛的オシャレファッションを見せびらかしたいわけでもなく、中性的な肉体美をひけらかしたいのか。

それは、中性に憧れるジェンダーゆえなのかもしれないし、自分が(上記で散々言ってる通り)ストイックさでマウントを取りたいだけなのかもしれない。

どちらかはわからない。

しかし、肉体的に無性愛的傾向が見られたのも事実。

このギリギリの綱渡りを、ぼくはいましている。