大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

月曜日のたわわ

「月曜日のたわわ」

これは、炎上マーケティングが国連まで飛び火するとは思わなかったというハナシだと思うんですけど。

まず前提として、すべての芸術は差別なんです。

意図的に誇張したい部分を誇張し、差異を表現するのが美術なのです。それによりルネサンス以降○○派という派閥に分離していったので。

たとえそれが何かを蔑視する概念だとしても、芸術とは残酷なことにストッパーを掛けられないんですよ。

人の頭の中の妄想を止めることは出来ない。

そして芸術というものは、多大なる影響力を社会に発信するものなのです。

かの岡本太郎氏は言いました。政治、経済、その次に芸術という3つの軸が世の中に必要だと。

それくらい芸術は影響力があるものなので、「ただの絵じゃん」と僕は切断操作はできないものと思ってます。

ゆえにヒトラーファシズムに反する芸術を「退廃芸術」とレッテルを貼って糾弾しました。

ヒトラーは「この芸術は気に入らんわ!シね!」って言って。気に入らない表現を、「退廃芸術理論」というそれらしいポリコレ棒を使って、「こういう芸術はキモいぞ」と人々に喧伝したのですね。

詳しくはウィキペディアの記事を読むといいでしょう。面白いと思います。
退廃芸術 - Wikipedia


まぁ。まさに今の「たわわ」がそうなってる状態です。

「退廃芸術」はナチが消滅した時には解放されたんですが。じゃあ今の日本の誇りあるオタクカルチャーをどうすればいいのか?

僕は三島由紀夫的な価値観でオタクカルチャーは「日本の文化」だと思ってます。

三島由紀夫天皇を中心とする歴史と文化を守ることこそが国防だとおっしゃってました。

かれこれ僕も保守的なオタクなので、あまり国外のゲームが国産のゲームより発展するのを「くやしぃ~」と思って見てしまうタイプです。

このままジャパニーズ萌えカルチャーが貧していく姿は寂しいと思います。

萌え絵タイアップのフライヤーが街から消えていくのはイヤですね。

なので、この、いわゆる「ツイフェミ」を挑発した「たわわ」の炎上マーケティングはいけないと思ってます。

三島由紀夫的な、「自国の文化を守る」という観点が必要と思いますね。

炎上マーケティングとして「ワザとやった」という悪意のもとに行われた公告だったのなら、やはりその悪意を自己批判する必要があるでしょう。