前書いた記事が「炎上マーケティング」だと断定して書いて、もっと根本的なことを言えなかったから(文章下手杉内)、ここで総合的な表現とは何なのかを書く。
それは表現ではなく商品です
この資本主義社会で生きる上において、表現には全て値札が付きます。資本主義社会に出される表現物は全てお金に還元されます。ただの商品なのです。その理由を語りましょう。
まず、クライアントが居て、企画をつくり、様々な手続きを経て世に送られる。これら極めて資本主義的なステップを踏む表現は、すべて資本主義に還元された「商品」でしかありません。
もはや何世紀の前の骨董品ですらも、資本主義に飲み込まれて、値札が着くもんですから、この世に商品でないものなどありません。
たとえばインディーシーンでDIYされる音楽だとか、同人誌だとか、卒業制作だとかの表現物であったとしても、価値という資本主義審美眼に掛けられるので、商品となります。
優れたインディーズバンドはメジャーレーベルにフックアップされます。同人誌即売会ではその場に来た編集者からスカウトされます。芸大の卒業制作はそのクオリティで会社への内定を獲得できます。
それが、完全に趣味で表現したとしても、「誰かに見せる」という行為を行えば、先の「資本主義的審美眼」で見積もられ、優劣を定められて、値札が付けられます。表現力がお金になる消費社会だから仕方ありません。
そして、消費社会での表現は、商品になって、日用品から高額家電などと、同じ括りの商品になるんです。
需要のない商品は誰にも買われません。
需要のある商品が買われます。
これが、現行の「表現の自由」の正体です。
表現に自由があると高を括るのは、消費社会が視えていない証です。
今起こっている表現の自由問題がどうなるのかは判りませんが、最低限この知識を持ってもらいたいものです。