大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

「さよなら絵梨」所感

「ぼくのエリ」は観てないので、そこら辺はなんとも言えないんだけど。

本作は藤本タツキ作品で頭一番揺さぶられた。すごすぎる。

「信頼できない語り手」「叙述トリック」が漫画という媒体で出来るなんてすごいな。

一体何が本当なのかフィクションなのか。これらをコマのフレームから何から何まで計算している感じ。

僕はミステリは全く読まない(映画ではよく見るけど)。

SF者の目線で言うと、イーガンやテッド・チャンみたいに、ギミックを「作者も考えてるようで考えてない!(バーナード嬢曰く)」というふうに描いてる漫画だと思った。

どのシーンが現実か虚構なのか、正解をタツキ先生は用意してないと思うわけです。

だけどこの作品の真実は、「死」に対する倫理観にあるわけで、ラストの自殺をやめて、廃墟が爆発するシーンは死への正しい倫理観の現れだと思う。

この混沌たる叙述トリックの中で、確かに言えることは、自殺予定の廃墟を爆発させて前を向いて歩くラストシーンだけが真実なんだ(もちろん爆発は心の中のイメージだったり、映画のVFXだとしても)。

どのシーンが、現実か、妄想か、編集された映像か、を考えるより、メメント・モリを表現したいことがタツキ先生の正解なのだと思った。

この作品がウケないと思う人は、前述の現実か妄想か―をイチイチ考えてしまうタイプだと思う。

すごくいいもん読まさせてもらいました。俺もタツキ先生を超える漫画家になりたいっすね。