大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

新型コロナウイルス襲来から2年目。ポストモダンの先には何もなかった。

かつて、庵野秀明は、機動戦士VガンダムOPの「Stand up to the victory」をこう評した。

「Stand up to the victory」。シビれます。勝利のために立ち上がるというのに。それが『Vガン』のテーマ的なものに繋がっていると思うんですよ。作品としても商売としても、何も出来ていない段階で「ガンダムの勝利」と謳っている。途中で、歌が変わってしまった時は、作品のテーマも変わったような感じがして、非常に残念でした。あの曲の中で、「その向こうに何もなくていい」と言い切っているのもいい。あの達観した感じはよかった。やっぱり富野さんは、何かに絶望してそこから出てきた感じがします。

俺たちは「その向こう側に何もない」世界に到達してしまった。
新コロによる経済的格差の拡大とソーシャルディスタンス社会が到達しても、政権は変わらず、「エンターテイメントで暇を潰す日常」と「経済が大きく動いた社会」の両方を生きる時代が生まれた。
「家の中はいつもどおりの日常」「家の外は今までとは違う日常」。それらを矛盾しないカタチで、まるでオーウェル二重思考的な現実を俺たちは感受している。

伊藤計劃ふうに言えば「スターバックスの永遠とドミノ・ピザの普遍性」か。岡崎京子ふうに言えば「平坦な戦場」か。ミヤダイふうに言えば「終わりなき日常を生きろ」か。ファイトクラブふうに言えば「あるのは魂の闘争。毎日の生活が大恐慌」か。

コロナという「大きな物語」があるのに、俺たちの日常は「何もない」という二重思考
もううんざりだ。ポストモダンという強固な牙城は、俺たち一人ひとりには無力なんだ。
かつて「大きな物語」が消滅したときにポストモダンが訪れたが、ポストモダンに再び「大きな物語」が訪れても、何も変わらない。人々は小さな島宇宙で暮らすだけだ。
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そんなことを思い知らされた感じのする元日です。