大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

『けいおん!』『ぼっち・ざ・ろっく!』「きららアニメ」「難民枠」に関する私論。


ときに、西暦2013年。

アニメ『ゆゆ式』から『きんいろモザイク』への潮流を起点に、「きららアニメ」というジャンルは確たるものになった。

キャラクターのゆるふわな日常が描かれることが特徴の、「難民枠」。あるいは「空気系」とも言えるジャンルだ。

このジャンルのアニメは、2013年以降のアニメ史において、金字塔とも言うべき成長を果たす。

2013年春に放送された『ゆゆ式』は、独特な雰囲気をまとい、観終えた者に強い喪失感を与え、―いわゆる○○ロス―「難民」の誕生を呼んだ。

「難民」は、夏の『きんモザ』に流れ。秋の『のんのんびより』。14年冬の『未確認で進行形』。または『桜Trick』。または『幸腹グラフィティ』。そして難民たちが流れ着いた14年春の『ご注文はうさぎですか?』をレプリゼントとして、確固たる金字塔ジャンルを築く運びとなった。

ここで面白いのは、『のんのんびより』は「まんがタイムきらら」作品ではないし、『未確認~』も雑誌が別な上 物語に男性が関与したり、『桜Trick』に関してはガールズラブ要素が濃厚な作品であったが、ただ、13年と14年を股にかけたこの一年で、「このような雰囲気のアニメ」が定着したことは分かるだろう。

ひるがえって、時を2009年に戻す。

この年に、「きららアニメ」の萌芽のひとつにして、「このような雰囲気のアニメ」の原点ともすべきアニメ。『けいおん!』が放送された。

私がリアルタイムで体感した『けいおん!』は、放送前情報から何やら新しい「雰囲気」を感じ、友人に「このアニメ面白そうじゃね。今夜第一話やるみたいよ。」とメールしたのをはっきりと覚えている。

けいおん!』は、女子高生5人のクローズド・サークルで、ゆるふわな日常を描く作品である(厳密には、私はこのアニメを「ゆるふわ&最終回は少女の成長譚」とみてるのだが)。

似ているが、『らきすた』や『みなみけ』、もっと遡れば『あずまんが大王』とも決定的に違う。全く新しいジャンルのアニメの出産であった。

そして、『けいおん!』は爆発的にヒットした。

まんがタイムきらら」という雑誌が一躍有名になった(コアなファンは『ひだまりスケッチ』でとっくに知っていたであろうが)。

CDは、当時珍しいオリコンチャートにアニソンが食い込むというイレギュラーを起こすほど売れに売れた。

登場人物が持つ音楽機材も楽器屋から飛ぶように売れた。

音楽を始めるファンが急増した。

登場人物が持っているシャーペンやらヘッドホンやらを特定し、その購買が奔走した。

学校の給食の時間やら学園祭やらで音楽を奏でただの、若年者にもファンを作った。

聖地巡礼ブームの先駆けとなった。 ロンドンまで遠征するものも普通に居た。

マーティー・フリードマンがレコメンドした。サブカル評論家たちに重要視された。登場人物・田井中律が好きな「ザ・フー」をはじめとしたイギリスのロックが聴かれるようになった。SCANDALというバンドが便乗的にカバーして有名になった。放送の次のクールに『大正野球娘。』『かなめも』『GA』『宙のまにまに』といった部活ものが流行った。10年放送の『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』絵面がオマージュのように類似した。「京アニクオリティ」へ大いに貢献した。70年代のヤマト80年代のガンダム90年代のエヴァ00年代のけいおん!と捉える傾向が起こった。黒髪ロングブームと茶髪ボブカットブームが起きた。2ちゃんねるではSSを投稿するものが増えた。『まどマギ』と比較された。まとめアフィリエイトブログがこぞって御輿を担いだ。「美少女動物園」なる言葉が出来上がった。etc…etc…etc…

これは、もう、間違いのない社会現象が巻き起こったのである。
これら『けいおん!』の高揚は、隔世遺伝的に、『日常』。『ゆるゆり』。『たまゆら』に波及し、先の『ゆゆ式以降』に影響を与えたのは明白な事実であろう。

それらを経て、いま現在。2022年。

「このような雰囲気のアニメ」の歴史は、情熱のキャタピラが止まらず、いまだ終わらず、連綿と受け継がれている。

今クールは『ぼっち・ざ・ろっく!』が好評放送中である。それとシノギを削っている「このような雰囲気のアニメ」も何作かある。

『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』と、『ヤマノススメ Next Summit』だ(奇しくも『ヤマノススメ』は『ゆゆ式』の前クールに放送され、大器晩成で人気になったアニメ。)

さて、『けいおん!』から13年以上の時代が流れ、視えた景色はなんだろう。

話を『ごちうさ』の時代まで戻すようだが、途方もない作品たちが「金字塔」にこぞって上り詰めていった。

余談だが、まんがタイムきらら作品のオールスターを集めたソシャゲ『きららファンタジア』はサービス終了を告げたのだが…。

それはもう、広がった樹形図のように、幾何学的に、カレイドスコープを覗くように、アニメーションたちのそれぞれのスタイルが醸成されていくような景色。

みながそれぞれ違っていた。演出に懸けるもの。作画に懸けるもの。声優に乗っかるもの。メディアミックス展開を行うもの。

そして、スタイル・ウォーズは止まらない。

今期の傾向をみるに、『ぼざろ』『DIY』『ヤマノススメNS』は「くだけた演出と作画」で勝負している。

どれも違って、どれも善い。 これが22年秋の世界観だ。

だが、13年半前の『けいおん!』旋風と、同じ「きららのロック漫画」で同調した『ぼちろ』のムードは、何かが違うと思わされる。

けいおん!』は、与えられるものを感受するだけではなく、上述でダラダラと述べたとおり、各々が自発的にブームを仕掛けたきらいがあった。

そして私は思う。

「『ぼっち・ざ・ろっく!』ファン、作品は色んな音楽をサンプリングしているのに、与えられるものを感受しているだけで、自発的に何かを起こしてなくね!?」

なぜだろう………Twitterのタイムラインで流れてくるものは、結束バンドたちのイラストぐらいで、誰も原作でオマージュされているビッグバンド クリープハイプフレデリックKANA-BOONを聴かない。
タイムラインのひとたちはチェンソーマンのEDには興味を示す割に、楽曲提供をしている音羽氏やビッグネーム、KANA-BOON谷口鮪氏やtricot中嶋イッキュウ氏の音楽に触れない。ディグらない。舞台探訪特番をやったのにも関わらず下北沢SHELTERに行かない。ぼっちちゃんが持つ、黒いレスポールが売れるブームに至らない。

私が過剰にロックバンド好きであるからなのか…この空気感の溝が、『けいおん!』当時を知るものとして、タンパクなものに感じてしまう。

私は『ぼっち・ざ・ろっく!』が好きだし、昨今の音楽業界のロックバンドの冬の時代の中、アニソン発ロックバンドとして大ヒットを望んだ『ぼっち・ざ・ろっく!』の門出を大いに祝った。

だが、君ら、ファンら、ヘッズら、リスナーら、力が足りないんじゃないか!?

これは邦楽を演っている人たちのTwitterを観ても明らかに目をつけられてないし、当然のごとくアニメファンたちはKANA-BOONのカの字すら興味を示さない。

うーん。これは考えものでしょうな…。

とにかく。なにかアニメファンの動きがとてつもなくタンパクになってしまったのは確かだと思う。

けいおん!』ブームも、「難民枠」ブームも、それぞれが自発的に動いていた。

少なくとも昨今はかすかな希望はある。「リコリコ難民」が「ガンダム水星の魔女」に移った現象はある。

だけど、「このような雰囲気のアニメ」を愛好するアニメファンたちの、情熱のキャタピラは、過去と何かが違う。我々は、いったいどこに向かうのだろうか。