怒りは全ての感情に勝つ。
憎たらしいやつを怒りに任せて殺したときに脳にあふれるドーパミンの高揚感は、凄まじいものだろう。
観客も、ぶっ殺したいやつを一人や二人思い浮かべるかもしれない。
そいつをぶっ殺した時を想像してみるといい、多幸感を感じるかもしれない。
歴史とは、怒りがドミノ崩し的に連鎖していくものである。
一人が改心しても無駄である。
怒りが、集団規模になったときに、それを食い止められる個人はいない。多は個より強い。
そして、ふるわれた怒りが自分の集団に起こったら、それは悲痛だ。
この映画には、人種、ナチのタトゥー、スキンヘッドという、それぞれの集団のしきたりが存在する。
その しきたり はくっついて絶対に剥がせない。一度スキンズになったら髪を伸ばしても無駄である。
個は多より弱いわけで、個になったデレクとダニーに悲しみが降り注ぐ。
この映画は、人種差別の啓発よりも、ファシズム(結束主義)に対して掘り下げた映画だった。
個同士の心の通じ合いは、素晴らしいものだ。
しかし、多の通じ合いは敵対関係でしかなくなり、怒りを誘発させる。
ファッショに集結してはいけないのだ。帰属意識を持ってはいけないのだ。
この映画はアメリカの歴史ではなく、人類普遍の法則を説いてある。