大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

『Ζ・刻をこえて』時代の転換期に聴きたい一曲

ここ数年に起こった、ウクライナ侵攻、コロナウィルス、衆院選、そして参院選という時代の転換期。

そのたびに、ぼくには、聴かずにはいられない一曲があった。

それが『Ζ・刻をこえて』

機動戦士Ζガンダム」とは、まるで不可解なオーパーツのような作品である。

放送当時の世相は、ソビエトのアフガン侵攻。

Ζガンダムの放送一年後のアメリカ・ハリウッドでは、『ランボー怒りのアフガン』という、タリバンを称える迷作(?)が作られたりもしていた。

そんな時代に、地球連邦内部の紛争―エゥーゴVSティターンズVSアクシズ―を描くという、これまた不可解な構図で作られたストーリー。

現代の視点から見れば、対テロ戦争を思い起こされたり。カール・シュミットの、グローバル社会における「世界内戦」を思い起こされたり。ネグリの「帝国とマルチチュード」を思い起こされたり……。

当時は、「ガンダムセンチネル」で“幕末に似ている”と評されたりもしていた。

たいへんマルチな見方で味わうことができるアニメなのだ。

いったいどんな企画で作られた作品なのか…知る由も無い。


そして本筋。『Ζ・刻をこえて』

ズッダン!ダン!ダン!ダン!と鳴るドラムロールと、フラメンコギター。まことに軽快なリズムに合わせて、時代というものに焦点を当てる一曲。

これはもう、言わずとも、クワトロ時代のシャア目線の一曲だ(カミーユ視点でも、当時の富野監督のアニメ制作の辛さ視点にも捉えることができるけど、それでも僕にはクワトロの曲にしか聴こえない)。

この曲のすべてのヴァースは、「Beyond the hard times from now(今のハードな時代を乗り越えようぜ)」に集約される。

まさしく、シャアがアクシズを抜けてクワトロを名乗りエゥーゴから人類を変えようとする野心の歌そのものである。

時代の危機に直面したクワトロの野心が、軽快なリズムと共に鳴り響くプロテスト・ソング。

まだシャアがアクシズを落とすほど人類に絶望してはいない歌だ。

ニヒリズムはあれど、シニシズムがない歌だ。

そして、とくに、“人を変えてゆく”という歌詞はヤバイ。

他人を変えることなんて絶対あり得ないことじゃないか。それでも変えようとするポジティブな野心と若さが溢れ出してる。

すげえ辛い出来事がニュースに流れてきても、この一曲さえ聞けば、クワトロの<野心>のもとに時代をポジティブに捉えられる名曲に違いないのだ。

個人的な話だが、ぼくは辛いときには「stand up to the victory」と「Gの閃光」を聴くけれど、それ以上にこの歌の、ニヒルなポジティブさはすごい。そしてカッコイイ。

“今を見るだけで悲しむのやめて 光に任せ取んでみるもいいさ” というニヒルなポジティブ。

混迷を極めた宇宙世紀の転換期。その、クワトロ時代のシャアの たくましい理想と願望が集約される歌詞。

チマチマひとつひとつ歌詞を語りたいが、ハードな時代のポジティブな乗り越え方を、こう、ストレートに伝授されてしまえば、腑に落ちざるを得ない。

時代に絶望した時に聴きたい曲。時代に心を沈められた時に聴きたい曲。それが『Ζ・刻をこえて』なのだ。