大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

デジタルアニメがもたらした青空の世界

ちょうど「ブギーポップファントム」をDアニメで観てた。

ちょー陰険な演出が冴え渡ってる。暗い。とにかく暗い。

本作はセルアニメだ(時代の過渡期でデジタル機材も使われていると思うけど、セル画が流出してたので、そう認定)。

そして、ブギーポップは2019年にもアニメ化された。

しかし、あの独特なセルの暗さを感じることは一切できなかった。

なんか空の色もきれいだし。ジメっとした暗さはない。そもそもメインビジュアルで青空すら描写している。


金曜ロードショーで何気なしに「時をかける少女」を観る。

これは青空がすさまじく明るいアニメだ。ポストエヴァみたいな衒学をこねるつもりはないが、この2006年ぐらいから、日本のアニメは“明るく”なった。

ポニョ、ハルヒ、ギアス(青空の下で戦うシーンの多い異色のロボアニメ)、ストライクウィッチーズグレンラガン、禁書、とらドラけいおん!、etc...

徐々にデジタルが「明るい風景」を描くのに適切で、それで作品の解像度が上がる制作方法だと分かっていく。

それは、やはり時代が求めてそうなったのだと持論を述べたい。

ウォーターボーイズとか、木更津キャッツアイとか、純愛モノブームとか、ロキノン系だとか、それらがウケはじめたのも、90年代の暗さをふっとばすためだったのかもしれない。

ゼロ年代の想像力」(長くてほとんど読んでないが)のレビューでは、「ゼロ想」は90年代から続く世界をリセットして、解き放たれるためにかかれた書。みたいな記述を見た。

そして現在2022年。このデジタルの青さを追求して様々な作品が作られていった。君嘘だとか。君の名はだとか。

90年代をリセットする、アニメ界のトリガーは、やはり「時をかける少女」でしかないと僕は思いました。

追記

暗いアニメの張本人、エヴァの新劇場版もこの「明るさ」の流れに逆らえなかった。
エヴァ破」だ。エヴァ破のあの青空を見れた限り。ぼくは“エヴァが殻を破った”という爽快感を感じていた。