大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

『シン・ウルトラマン』お気持ち表明

リアリティとしては、シン・ゴジラがシミュレーション的だとして、こっちは拍子抜けするほど現実感が薄い。

「天気の子」における、「何が起こってもおかしくない」という警鐘はなく、もともと非現実に慣れてしまっている人々が映し出される。

官僚社会や国際政治の描写で、ある程度のシミュレーション感は担保されているのだが、それでも一般的なヒーロー映画並の現実感である。

それゆえ、怪獣や外星人の脅威を感じにくい。もともとウルトラマンのオムニバスを融合させた作品ゆえか、ザラブだったり巨大長澤まさみだったり、話がいろんな方向に飛び散っている。

その飛び散り具合は、ゼットンを倒す計算式をすぐ編み出しちゃったり、数コンマ単位の最終決戦が盛り上がらずに終わったりするほどのもので。

スパロボ風に言えば、リアル系をやりたいのか、スーパー系をやりたいのか、どっち付かずになっちゃってる。

斎藤工が目を覚ますラストシーンでいきなりエンドロールなのは困惑した。え、メフィラスは?って感じ。

そう思うとシン・ゴジラはすごい作品だったのかもしれない。あんな絶望的なバケモノに、知恵と覚悟が打ち勝つ素晴らしさ。細かい積み重ねが人間讃歌じゃないのか。あまりに大雑把すぎないか。

しかし、相手が知恵を持つ外星人で、こちらもウルトラマンというカードがあると、ただの地球をめぐるパワーゲームに成り下がってしまう。

独特のアニメチックなコンテ術は冴えてたけど、俳優の顔どアップはやめてほしい。アニメキャラじゃなくて人間の毛穴やホクロまで大スクリーンに映し出されるのは見るに堪えなかった。

なんか、人間臭さがないんだよね。

これもシン・ゴジラの功罪が裏目に出て、地球人システムvs外星人システムの、システム同士のグレート・ゲームになってしまったわけで。

科特隊の面々には人間臭いシーンが積み重なってるつもりだけど、その人間臭いシーンをコメディリリーフとして活用してしまっているから、全く人間臭くない。

外星人も外星人で、ゲーム的に立ちはだかるのではなく、ーたとえば「マブラヴオルタネイティヴ」のあ号標的みたいなーこっちの常識がハナっから通用しない超然とした存在ではない。

それにつけて、ウルトラマンには、「そんなに人間が好きになったのか」と思われるバックボーンがない。

小学生を助けるというシーン時点ですでに人間が好きになってるじゃないっすか。

キメゼリフにゾフィーに言われても、あんまり腑に落ちない。

シン・ゴジラのシミュレーションをシン・ウルトラマンにあてがって、失敗したような感じか。

まぁ、上映時間が二時間以下だから、シン・ゴジラと比べて観るもよし。