大草原の小さな寒村

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。

パトレイバー2って柘植の拡大自殺じゃないの?論

今日見返したわけじゃないけど、パトレイバー2は一年に一回は毎年見ちゃうし(謎の習慣)、もう中学の頃から10回以上は見てると思うんで、くそイマサラながら再確認したいけど。

このアニメって柘植の拡大自殺の話じゃないの?

という解釈で、僕はこの映画を結論づけている。

伊藤計劃の言う通り、この映画は右翼的なテーゼで、「日本を目覚めさす話じゃない」とは思う(しかし、ここには欺瞞があると僕は思っているので後述する)。

柘植の戦争を東京に“演出”させた。という論も分かる。

これは、南雲さんと柘植と、後藤さんの、ごく個人的なラブストーリーであるという風説も正しい。

僕は、柘植が「戦争」を東京に演出したわけでもなく、ただ、この「何もしない神様」の都市を相手取り、戦争をふっかけて、そのまま自殺的に都市を滅ぼす映像作品と思っている。

おそらくそこら辺は、戦争という極限状態を経た柘植が、パト1のホバのように東京に対して拡大自殺を図ったのと同根ではないかと(ぼくはパト1はパト2のプロトタイプだと思ってる。ビューティフル・ドリーマーも同様に。)。

最終的には米軍の介入も示唆されていた通り、おそらく米軍内にも柘植派の内通者がいるわけで。

とにかく日本の首都機能そのものを徹底的にデストロイしまくって、柘植は自決しようとしたんじゃないかなと思ってる。

しかし、柘植一派が東京都民を虐殺しないのは、先程僕が否定していたが、「日本を目覚めさす」国粋主義のイデオローグも少なからず入ってると思う。ネトウヨ的な下品さはないが。

だって、柘植が来る前から戦争はとっくに始まっているのだから。後藤隊長は警視庁の本部で遅すぎたと言っているんだッとタンカを切ったわけで。

f:id:doppoo-2007:20220107004836j:plain


そして、南雲さんだ。
押井は「アムロとシャアのいない逆シャア」とこの映画を銘打っているが、これはモロに南雲=アムロ、柘植=シャアで成立している逆シャアの換骨奪胎作品。逆シャアと全く同じ構造の作品でしょ。

type-r.hatenablog.com

このエントリははえ^~すっごい。

南雲と柘植との関係は上記エントリが解説してくれてるとして、
僕はこの映画で面白いと思ったのは、序盤、大田さんが新人への訓練のシーンでギャグテイストに「体当たりするんだ~」つって吶喊していったのを、終盤の南雲さんが全く同じ形で「そこをどけぇーっ!」と米軍警備レイバーにシリアスに吶喊した部分。

めちゃくちゃかっこいいシーンだと思います。100点。


そして最後の逢瀬が二人にあり、柘植は逮捕され、後藤はフラれた。

そして柘植は、拡大自殺するのではなく、この街の未来を観たくなって、自分の生きる価値を南雲に見せつけられた。

という映画だと僕は思います。


………あと謎なのが、荒川が何者かということ。

f:id:doppoo-2007:20220107010254p:plain

わりと荒川、押井の「右翼的テーゼ」で動いて、押井のそういう思想を代弁している人だと思うんですよね。

柘植は拡大自殺を選んだが、荒川がワザと柘植とは異なる動機で、行動を不明瞭にして描いているのがニクい。

逆襲のシャア友の会」的に言えば、押井が持つイデオロギーを、この動機不明瞭な奇人というパンツで隠しているということだと思います。

特に押井の主張が激しく出るのはこの荒川が喋っている場面。

逆シャアにおける、シャアの「お前何がやりたかったんだ感」は、なんかもう万感の思いで富野の怨念が宿っているんだけど、押井は荒川というクールな男で主張を隠し表現する。それが押井流というべきか。


それにしてもこの映画。押井が持っていた「虚構と現実」という思索をビューティフル・ドリーマーの無邪鬼から続けて、やっと南雲さんに「虚構と現実」を整理させられた。到達点に達した映画だと思う。

f:id:doppoo-2007:20220107005759p:plain

このショットからヘリまで続くシーケンスはすげーかっこいい。

パト2以降の押井作品にはなんだかついていけない。攻殻もなんか、素子が中二病的に見えてしまったりするので。あっ、ぶらどらぶ観てねーな。観なきゃな。