・『冴えない彼女の育て方』をアマプラで観た
この映画何年ぐらい前に作られたん?って思うくらいオタク文化圏から離れていた僕だが、
こんな昼ドラみたいなクサすぎる話に声を出してむせび泣いてしまった。
安芸倫也の「特別な存在」になれなかった英梨々と詩羽の悲痛すぎる現実の受け入れ方、それぞれの防衛機制。その所作の全てが苦しいぐらいの切なさを与えてくれる映画だった。
特別な存在になれないことは、かくも辛いのか。久々に敗北ヒロインの王道を観たね。
この映画、キャラデザと作画の良さを判ってか、やけに“若い肌感”を感じるんだよね。
10代の子供の肌の綺麗さ。
こんな記号化されたリミテッドアニメごときに、それを描ける力はすごい。
動いて魅せる画じゃなくて静止画で魅力が伝わるキャラクターだからかな。
そんで、最後にみんなが集まって、帰るべき場所に戻っていくところに、僕はファーストガンダムのラストの面影を観た。
それでも帰る場所あることが何よりも救いである。
それにしてもこの映画、背景が写実的にクッキリと浮かんでて、アニメツーリズムかなんだか知らんけど、そういう背景の強みも演出の一部に入ってて、
安芸倫也と加藤恵の告白シーンでは、道路の向こうの住宅街がバァーッとひらけて見えたり、T字路の違う側の道路まで見えるほどバーンとヒキの画面にしたり、
何かと町並みの描写が目に入った。
都内に住む人々の暮らし、その群像劇の一部の一幕。といった感じかな。
『あたしンち』のOPみたいな感覚に近い。
そしてこのテの演出が効いてる映画は、自分の映画審美眼の経験上これを挙げてしまう。
区画整備され、ウサギ小屋のように人民の入居する物件がひしめきあう「都会」。
そこを感じてしまえば、我々の悩みなどちっぽけなものなのかもしれない。
下の階のベランダでタバコぷかぷか蒸しながら俺の部屋に副流煙を撒き散らす輩も、許す余地もあるかもしれない。…まあそこはその時の気分として。
明日はSHIROBAKO劇場版でも観ようかな。前の記事でも言っていた、時流を掴むためにも。
あとは今日したこと、買い物して、最近覚えた鍋で麺を茹でる「都会」の一人暮らしサバイバル術を実践したり(そんなん小学生でもできるやろがい)。
作業所の仕事で使うラップトップのクリップスタジオにショートカットキーを割り当てて、ちょいと落書きをして。
普段は解像度の高い27インチのモニターでお絵かきしてるんだけど、15インチにも満たないサイズの画面で描くこともなかなか良いなって思った。
それ以外はとてもじゃないほど寒くて、風呂にすら入れず・・・(3日風呂入ってない)。ダラダラTwitterを眺めてただけ、かな。うん。