善と悪が戦うハナシには、大きな主軸が必要不可欠だ。
なにせ、作中の悪の倫理観が暴走をはじめたら、「大人」で「良識的」な人間にしか止められない。
かつて宇野常寛さんは『碇シンジでは夜神月を止められない』みたいなこと書いてたけど、夜神月を止められるのは、アムロ・レイのような太い軸を持つカタギだ。
だからニアは最終的に夜神月の思弁を喝破し、倒した。
碇シンジは言わずもがな、スパロボで彼は周囲の人に何度も救われている。
アムロは、シャアのよく分からん動機を「エゴだよそれは」「革命のこと知らないんだな~」「貴様ほど急ぎもしなければ~」「俺はマシーンじゃない!」と、シャアの動機をガリガリ削って真相を暴いていく。
(かと言ってアムロは万能ではない。クェスの父にはなれない。だが、それは別の話だ。ここではアムロVSシャアの構図を暴いていく)
良識ある大人は、ティーンエイジャーが主人公の物語に必要である。
初代のアムロだったら、ランバ・ラルがCCAアムロの役割を担った。
ランバ・ラルの戦士の生き様を見せつけるのもいい。
CCAアムロはただの官僚としてシャア事件を始末しようとする。
この官僚的淡々さや、ランバ・ラルのような大人の目線で、相手に対して甘さを指摘する大人キャラの特権が、主人公と作品の倫理観を決めつけるファクターになる。
そしてこの構造は、主人公と同年代のホモソーシャルに持ってきてもいいのだが、やはり、ホモソ+ライバル関係じゃないとダメです(それにしても、ギアスの枢木スザクのようなケースを作るのは本当に難しいよな)。
ようは「ツッコミ役」がまったくの不在な作品になると、観客がツッコミ役を担わされる。
たいてい、そのような作品は観客の非難轟々や嘲笑を浴びて失脚する歴史がある。
魅力のある若造の主人公を作るには、しっかりした大人やライバルを用意して、泳がせておくのが一番いいと思う。